バカとハサミと新聞は使いようなんだが……??

 今日の毎日朝刊5面(オピニオン)の投書欄「みんなの広場」に、新聞購読も教育の一環だとの主旨の、岐阜県在住の47歳の公務員の男性の投書があった。新聞の閲読率・購読率が低下中の昨今、投稿者の周辺でも数軒、購読をストップした。理由がよくある「読まない」「ネットで間に合う」で、件の投稿者も同感だが、ご自身は購読中だ。

 そしてその意義に関して、当然情報収集が第一義だが、同時に閲読する姿を子供たちに見せるのも大切だと思っている。子供は良くも悪くも、大人のマネをしたがる……結果、そうすることで情報収集力、集中力、取捨選択力を身に着けていってくれればいいと結んでいた。

 僕も普段の電車通勤時においても、駅や車内等で新聞を閲覧する人の姿はそれこそ僕以外にいない有様だったりする(?)。ざっと1割くらいが朝日や読売、日経やたまに産経、あと夕方以降に夕刊フジ日刊ゲンダイも読んでいる姿を見かけるくらいだ。なお、どういうわけか東京は勿論、残念ながら当の毎日をあまり見かけないのは、都内であるが故にか(?)。

 それにしても「読まない」「ネットで間に合う」というのは、件の投稿者も納得というのも含めて、実に底の浅い考え方だ。読まないではなしに「読めない」が正しく、「ネットで間に合う」というのも「新聞を読めないからネットに逃げている」に過ぎないのだ。

 88年(昭和63年)初版刊行の『別冊宝島72巻』「ザ・新聞」にあったが、新聞を読みこなせるようになるまでには、朝日や読売等の一般紙で3カ月、日経本紙だと半年かかるという(77頁)。これは案外誰しもそうらしく、僕も実際、87年9月に産経(当時サンケイ)、11月に日経本紙を、共に初めてとり出したが、確かにサンケイが暮れから年明け、日経が実に翌年のゴールデンウィーク明けまでかかった覚えがある(!)。

 その間、サンケイはともかく(?)日経の「読者修行」は、自分で言うのも何だが過酷を極めたものだ(!)。『現基知』はもとより、『マンガ版日本経済新聞の読み方』(石井勝利・さいとうはるき共著 明日香出版社)という楽しい修行本(?)を含め、10冊超の日経新聞解説書や株式・為替等の経済本を買い漁り、それこそ土日はもとより年末年始もGWも事実上無きに等しい、自分から進んでとはいえ地獄の日々だった(?)。

 ただ、その地獄からの「脱出の瞬間」は、経験しなければわからないが、ある日ある時間に突然訪れる(!)。僕の場合、まずサンケイに慣れたのが87〜88年の年末年始にかけてだったか、当時住んでいた近所の北京料理店で、そこでとっていた読売を読みながらテレビニュースを見ていた、何故かその時だった(!)。そこでサンケイと読売をモノにし(?)、88年3月にこれも初めて朝日も追加し、年央にようやく日経に慣れていった……

 以来既に四半世紀超、27年経つが、今日ではその地獄が懐かしくてたまらないくらいの(?)充実した「新聞ライフ」を送っている。僕のこの辺の事情は、元NHKなのに「ミスター新聞」たる池上彰氏(?)とは全く違っている筈だ。何しろ当時はJRのKIOSKで新聞・雑誌の販売に従事し、同時に前述の『マンガ版日本経済新聞の読み方』の中で紹介のあった、従来のMy人生を180度ひっくり返してくれたMy愛読書『メディアの興亡』(杉山隆男著・文藝春秋)にも出逢ったことも全く無縁ではない(!)。

 また、高校卒業後に読んだ、今は亡きはらたいら著『愛を旅する人へ』の中で、「僕がとっている新聞は8紙……朝日、毎日、読売、サンケイ、東京、日経、報知、スポニチ。僕が描く漫画は社会風刺なので、事実誤認があってはならず、どうしてもこれだけ必要だ」といっていて、今風に言えば「カッケー!」(カッコいい)と思ったことがある(!)。かつて伝説の『クイズダービー』であれだけズバズバ答えた秘密はそれかと、感嘆したものだった。

 もうイマドキ新聞は、こういったような余程の職業体験や1冊の本、レジェンドなりアスリートにでも巡りあわなければ。、到底読む気にはならないのだろう。僕も高校3年時には政治・経済が大得意だったものの、新聞は卒業後もせいぜい三面記事や趣味の将棋欄、あとはスポーツ面しか読まなかったものだ。

 新聞を読まない、いや、読めないだの、ネットで間に合うだのと言っている連中は、そういう確かに辛い「修行」を避けてばかりの、実に軟弱な、キャパも小さい、未来のない人間に成り下がってしまう。それが証拠に、昨今の刑法犯の人間は間違いなく、1度たりとも新聞を読んだことのない、所詮そこまでで未来のなかった輩ばかりだろうと思う。別にそういう統計があるわけでも、ましてや自らそれを取ったわけではなく、僕一流の洞察力とでも言えるだろうか(?)。

 逆にイマドキ、新聞が意外にも婚活に使える点に着目しているのも、少なくとも日本中で僕くらいのものかもしれない(?)。目下連載中の(?)「7月22日、静かに職場を去ったKさん」ではまだ触れていないが、5月だったか6月だったか春先、Kさんに遂にこう言われたのだ。

 「日経新聞をそんなにスラスラ読めるなんて、山川さんってステキです」

 まあ、キャリア27〜28年を誇る(?)僕には朝飯前なことも、若い彼女には素直に「カッケー!」と映ったのだろう、当然と言えば当然なのだが(?)、単に広告を見ていてサッとページを変えただけだったのかもしれず(?)、だとしたら事実誤認でもある(?)。ともあれ苦節27〜28年(?)、日経を読んでて女性に褒められたのはこの時が初めて、勿論彼女が第1号である(!)。

 また、7月に入ってからか、職場で昼休み、いつものように手弁当をつつきながらまず日経本紙を広げると、横からKさんとは別の、ここでは一旦匿名希望ペンネームOさんとしておこうか(?)メガネっ子にこう言われた。

 「あっ、なんか(山川は)毎日、新聞読んでる気がする」

 「いや、(日経は)毎日だけどね。それに毎日もとってるし……」と自分でもワケのわからないことを言っておいたが(?)、今も職場で休憩時、こうして新聞を読む人間は御多分に漏れず僕だけなので(!)何かとご注目なのかもしれない(!)。

 ただしまあ、職場内外を問わず我々男が女性と接する際、休憩中やデート中に恋活なり婚活に使える新聞アイテムは、どう考えても日経に限られよう(!)。あとはやはり朝日や毎日、読売、東京(中日)で、産経だけは88年5月から変えた1面のあの題字「産經新聞」がダサ過ぎる(!)。

 そのことは当時僕も再三再四日記にしたが、旧来の「サンケイ」の方がカッケーかったのだ(!)。紙面のカラー化や、1面下のいわゆるサンヤツ広告を廃止したのはまだ良しとしても、「サンケイ」を「産經新聞」にまで変えたのは迂闊だったんじゃないかと、今も残念なのだ。逆に言えば、もし今も「サンケイ」のままなら、今日現在とってる可能性が高いくらいなのだ(?)。シャレを言うつもりはないが題字は大事で(!)まさしく新聞の顔、先月で日刊工業を止めたのも変に題字を変えたのが遺憾だったからだ。

 また、他のブロック紙……道新(北海道新聞)と西日本新聞は未だ手に取ったことがなく、地元の方々には申し訳ないがブッチャケどんなものだか分からない(?)。

 やはり日経本紙が一番ポイントが高いと思うが、あと強いて挙げるなら日経産業や日経MJ(流通)、日経ヴェリタスの日経姉妹紙、先日止めてしまった(?)日刊工業、それに株式新聞と日本証券新聞だろう。日経産業や日刊工業なら馴染みが皆無なので、「なになに??それなに??」とブリッ子で訊いてくる公算大(?)……

 ちょっと脇道に逸れるが、僕的に日経産業に関してだけは、『メディア〜』を愛読書に持ち日経の『百年史』『110年史』まで所有している関係上、最低1時間のマシンガントークに陥る懸念が大いにある(?)。まさにアクセル&ブレーキを巧みに操れるかが、勝敗のカギかもしれない(?)。

 閑話休題……日経MJは日経流通時代から意外に女性にモテてる新聞だし(!)、ヴェリタスとそれら株式専門紙は財テク等の金銭感覚が光ると思って貰えよう(!)。それに株式専門紙は、相場表や信用残高といった数字の羅列が10ページ前後にも渡り、それらに目を走らせながらジッと動かない姿は「なかなかカッケーくね??」とも思う(?)。

 今日の毎日朝刊5面(オピニオン)の投書欄「みんなの広場」に、新聞購読も教育の一環だとの主旨の、岐阜県在住の47歳の公務員の男性の投書があった。新聞の閲読率・購読率が低下中の昨今、投稿者の周辺でも数軒、購読をストップした。理由がよくある「読まない」「ネットで間に合う」で、件の投稿者も同感だが、ご自身は購読中だ。

 そしてその意義に関して、当然情報収集が第一義だが、同時に閲読する姿を子供たちに見せるのも大切だと思っている。子供は良くも悪くも、大人のマネをしたがる……結果、そうすることで情報収集力、集中力、取捨選択力を身に着けていってくれればいいと結んでいた。

 僕も普段の電車通勤時においても、駅や車内等で新聞を閲覧する人の姿はそれこそ僕以外にいない有様だったりする(?)。ざっと1割くらいが朝日や読売、日経やたまに産経、あと夕方以降に夕刊フジ日刊ゲンダイも読んでいる姿を見かけるくらいだ。なお、どういうわけか東京は勿論、残念ながら当の毎日をあまり見かけないのは、都内であるが故にか(?)。

 それにしても「読まない」「ネットで間に合う」というのは、件の投稿者も納得というのも含めて、実に底の浅い考え方だ。読まないではなしに「読めない」が正しく、「ネットで間に合う」というのも「新聞を読めないからネットに逃げている」に過ぎないのだ。

 88年(昭和63年)初版刊行の『別冊宝島72巻』「ザ・新聞」にあったが、新聞を読みこなせるようになるまでには、朝日や読売等の一般紙で3カ月、日経本紙だと半年かかるという(77頁)。これは案外誰しもそうらしく、僕も実際、87年9月に産経(当時サンケイ)、11月に日経本紙を、共に初めてとり出したが、確かにサンケイが暮れから年明け、日経が実に翌年のゴールデンウィーク明けまでかかった覚えがある(!)。

 その間、サンケイはともかく(?)日経の「読者修行」は、自分で言うのも何だが過酷を極めたものだ(!)。『現基知』はもとより、『マンガ版日本経済新聞の読み方』(石井勝利・さいとうはるき共著 明日香出版社)という楽しい修行本(?)を含め、10冊超の日経新聞解説書や株式・為替等の経済本を買い漁り、それこそ土日はもとより年末年始もGWも事実上無きに等しい、自分から進んでとはいえ地獄の日々だった(?)。

 ただ、その地獄からの「脱出の瞬間」は、経験しなければわからないが、ある日ある時間に突然訪れる(!)。僕の場合、まずサンケイに慣れたのが87〜88年の年末年始にかけてだったか、当時住んでいた近所の北京料理店で、そこでとっていた読売を読みながらテレビニュースを見ていた、何故かその時だった(!)。そこでサンケイと読売をモノにし(?)、88年3月にこれも初めて朝日も追加し、年央にようやく日経に慣れていった……

 以来既に四半世紀超、27年経つが、今日ではその地獄が懐かしくてたまらないくらいの(?)充実した「新聞ライフ」を送っている。僕のこの辺の事情は、元NHKなのに「ミスター新聞」たる池上彰氏(?)とは全く違っている筈だ。何しろ当時はJRのKIOSKで新聞・雑誌の販売に従事し、同時に前述の『マンガ版日本経済新聞の読み方』の中で紹介のあった、従来のMy人生を180度ひっくり返してくれたMy愛読書『メディアの興亡』(杉山隆男著・文藝春秋)にも出逢ったことも全く無縁ではない(!)。

 また、高校卒業後に読んだ、今は亡きはらたいら著『愛を旅する人へ』の中で、「僕がとっている新聞は8紙……朝日、毎日、読売、サンケイ、東京、日経、報知、スポニチ。僕が描く漫画は社会風刺なので、事実誤認があってはならず、どうしてもこれだけ必要だ」といっていて、今風に言えば「カッケー!」(カッコいい)と思ったことがある(!)。かつて伝説の『クイズダービー』であれだけズバズバ答えた秘密はそれかと、感嘆したものだった。

 もうイマドキ新聞は、こういったような余程の職業体験や1冊の本、レジェンドなりアスリートにでも巡りあわなければ。、到底読む気にはならないのだろう。僕も高校3年時には政治・経済が大得意だったものの、新聞は卒業後もせいぜい三面記事や趣味の将棋欄、あとはスポーツ面しか読まなかったものだ。

 新聞を読まない、いや、読めないだの、ネットで間に合うだのと言っている連中は、そういう確かに辛い「修行」を避けてばかりの、実に軟弱な、キャパも小さい、未来のない人間に成り下がってしまう。それが証拠に、昨今の刑法犯の人間は間違いなく、1度たりとも新聞を読んだことのない、所詮そこまでで未来のなかった輩ばかりだろうと思う。別にそういう統計があるわけでも、ましてや自らそれを取ったわけではなく、僕一流の洞察力とでも言えるだろうか(?)。

 逆にイマドキ、新聞が意外にも婚活に使える点に着目しているのも、少なくとも日本中で僕くらいのものかもしれない(?)。目下連載中の(?)「7月22日、静かに職場を去ったKさん」ではまだ触れていないが、5月だったか6月だったか春先、Kさんに遂にこう言われたのだ。

 「日経新聞をそんなにスラスラ読めるなんて、山川さんってステキです」

 まあ、キャリア27〜28年を誇る(?)僕には朝飯前なことも、若い彼女には素直に「カッケー!」と映ったのだろう、当然と言えば当然なのだが(?)、単に広告を見ていてサッとページを変えただけだったのかもしれず(?)、だとしたら事実誤認でもある(?)。ともあれ苦節27〜28年(?)、日経を読んでて女性に褒められたのはこの時が初めて、勿論彼女が第1号である(!)。

 また、7月に入ってからか、職場で昼休み、いつものように手弁当をつつきながらまず日経本紙を広げると、横からKさんとは別の、ここでは一旦匿名希望ペンネームOさんとしておこうか(?)メガネっ子にこう言われた。

 「あっ、なんか(山川は)毎日、新聞読んでる気がする」

 「いや、(日経は)毎日だけどね。それに毎日もとってるし……」と自分でもワケのわからないことを言っておいたが(?)、今も職場で休憩時、こうして新聞を読む人間は御多分に漏れず僕だけなので(!)何かとご注目なのかもしれない(!)。

 ただしまあ、職場内外を問わず我々男が女性と接する際、休憩中やデート中に恋活なり婚活に使える新聞アイテムは、どう考えても日経に限られよう(!)。あとはやはり朝日や毎日、読売、東京(中日)で、産経だけは88年5月から変えた1面のあの題字「産經新聞」がダサ過ぎる(!)。

 そのことは当時僕も再三再四日記にしたが、旧来の「サンケイ」の方がカッケーかったのだ(!)。紙面のカラー化や、1面下のいわゆるサンヤツ広告を廃止したのはまだ良しとしても、「サンケイ」を「産經新聞」にまで変えたのは迂闊だったんじゃないかと、今も残念なのだ。逆に言えば、もし今も「サンケイ」のままなら、今日現在とってる可能性が高いくらいなのだ(?)。シャレを言うつもりはないが題字は大事で(!)まさしく新聞の顔、先月で日刊工業を止めたのも変に題字を変えたのが遺憾だったからだ。

 また、他のブロック紙……道新(北海道新聞)と西日本新聞は未だ手に取ったことがなく、地元の方々には申し訳ないがブッチャケどんなものだか分からない(?)。

 やはり日経本紙が一番ポイントが高いと思うが、あと強いて挙げるなら日経産業や日経MJ(流通)、日経ヴェリタスの日経姉妹紙、先日止めてしまった(?)日刊工業、それに株式新聞と日本証券新聞だろう。日経産業や日刊工業なら馴染みが皆無なので、「なになに??それなに??」とブリッ子で訊いてくる公算大(?)……

 ちょっと脇道に逸れるが、僕的に日経産業に関してだけは、『メディア〜』を愛読書に持ち日経の『百年史』『110年史』まで所有している関係上、最低1時間のマシンガントークに陥る懸念が大いにある(?)。まさにアクセル&ブレーキを巧みに操れるかが、勝敗のカギかもしれない(?)。

 閑話休題……日経MJは日経流通時代から意外に女性にモテてる新聞だし(!)、ヴェリタスとそれら株式専門紙は財テク等の金銭感覚が光ると思って貰えよう(!)。それに株式専門紙は、相場表や信用残高といった数字の羅列が10ページ前後にも渡り、それらに目を走らせながらジッと動かない姿は「なかなかカッケーくね??」とも思う(?)。

 ここでまた余談だが(?)週刊の日経ヴェリタスの前身は、87年10月創刊で7年前の08年に遺憾ながらヴェリタスになってしまった(?)日刊の日経金融新聞で、こう考えるとヴェリタスより日経金融の方が明らかにカッケーのだ(!)。ヴェリタスより倍掛かったが、読み応え200%で大好きないい新聞だったし(!)、かつてもちょっと言ったが出来れば復活して貰いたいものである(!)。

 一方でサンスポ等のスポーツ紙や、フジ、ゲンダイ、東スポといった夕刊紙は当然、残念ながら一気にポイントが下がる。読んでいるページやネタによっては(?)、相手に嫌がられかねないからだ。それに自由新報や公明新聞その他、あるいは聖教新聞といった政党・宗教機関紙はイデオロギーや思想の問題上、それぞれの当事者同士でないとまずムリだとしたものだろう。
 また、電波新聞交通新聞日刊自動車新聞、日刊鉄鋼新聞、化学工業日報、石油化学新聞、日本農業新聞繊研新聞……などといった業界紙は大部分が高価な上、当たり前だがかなりマニアックなので、ポイントのアップダウンはまさに一か八かの賭けになろう(?)。

 もっとも冒頭の投書もそうだが、新聞を読んでいる姿がいくらカッコ良かろうと、子供や女性からの横からの問いかけに答えられなければ、当然だが全く何もならない。やはり日頃からの自己研鑽が必要だ。

 そして改めて、僕が目下とってる新聞も数自体、故はらたいらの生前と同じ8紙だが銘柄が半分違う……朝日、毎日、読売、日経本紙、日経産業、日経ヴェリタス、株式、日本証券。

 これらがMy強い味方であり、ただでさえ女殺しの僕的な(?)更なる強力な武器の数々だとも確信している(!)。 一方でサンスポ等のスポーツ紙や、フジ、ゲンダイ、東スポといった夕刊紙は当然、残念ながら一気にポイントが下がる。読んでいるページやネタによっては(?)、相手に嫌がられかねないからだ。それに自由新報や公明新聞その他、あるいは聖教新聞といった政党・宗教機関紙はイデオロギーや思想の問題上、それぞれの当事者同士でないとまずムリだとしたものだろう。
 また、電波新聞交通新聞日刊自動車新聞、日刊鉄鋼新聞、化学工業日報、石油化学新聞、日本農業新聞繊研新聞……などといった業界紙は大部分が高価な上、当たり前だがかなりマニアックなので、ポイントのアップダウンはまさに一か八かの賭けになろう(?)。

 もっとも冒頭の投書もそうだが、新聞を読んでいる姿がいくらカッコ良かろうと、子供や女性からの横からの問いかけに答えられなければ、当然だが全く何もならない。やはり日頃からの自己研鑽が必要だ。

 そして改めて、僕が目下とってる新聞も数自体、故はらたいらの生前と同じ8紙だが銘柄が半分違う……朝日、毎日、読売、日経本紙、日経産業、日経ヴェリタス、株式、日本証券。

 これらがMy強い味方であり、ただでさえ女殺しの僕的な(?)更なる強力な武器の数々だとも確信している(!)。