古典文学も立派なDataBaseだが……

 今朝7時09分配信の朝日電子版、並びに昨日の朝日夕刊2面に、平安時代末期の1185年(元暦2年)に京都で起きた大地震で、『方丈記』や『平家物語』その他の古典文学でも描かれている「元暦地震」についての「物的証拠」が、京大によって発見されたという記事が出ていた。場所の地図が夕刊に出ていて、京都の東山だが滋賀との県境の滋賀側に入ったところという。

 当時は壇ノ浦の戦いか何かで平家が滅んで間もなくで、その地震で京都を中心に甚大な被害が出た。マグニチュードが7.4(推定)で、琵琶湖西岸の一部活断層が動いたとも言われる。

 京都に在住し方丈記を著した鴨長明(1155〜1216)はその中で、「山は崩れ川が埋まり」(※僕に何か用か??という無粋なことはここでは言うまい)「地は動き、家屋倒壊の音は雷の如し」といった記述をしている。地震は長明がジャスト30歳、今でいうアラサーの時で、更にこの7年後があの「1192作ろう源頼朝」というわけだ。
 作品ではこういった自然災害等の災厄を取り上げ、それがあの超有名な冒頭の一節「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし……」に集約されていると思う。

 また、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり……」という冒頭でも超名高い平家物語でも、「大地が裂け水わき出で、盤石割れ谷にまろぶ」との記述もある。

 方丈記平家物語も、今も遅くとも高校の国語で習うであろう、もう必須といっていい古典文学だ。僕も三昔以上前に(?)平家物語冒頭を丸暗記させられ、授業中に差された覚えがある(中間or期末テストに出たかどうかは忘れた)。方丈記も、丸暗記の義務こそなかったが、その雅な冒頭に魅せられ自然と暗記できた思い出がある。

 ただ、僕はそういった古典文学の多くが、著者の思想遍歴に終始するフィクションに過ぎず、よもやそういった「ニュース」まで取り上げていなかろうと思ってきた。しかし今読破中のT・ピケティ『21世紀の資本』でも、ピケティが収集・分析した膨大なデータの中に近代文学の作品からも採取したとあり、「そういった文学も立派なDataBaseだ」と断じ切りたいかのようだ。

 そういえば同じ平安時代の『蜻蛉日記』(藤原道綱母)や『和泉式部日記』、『更級日記』(菅原孝標女)等に至っては、紙に毛筆ながら今でいう見事なブログで(?)、僕に言わせると立派なDataBaseでもある(!)。もし彼女たちの時代からネットでもあろうものなら、喜んでブログやフェイスブックにも勤しんだであろうことは想像に難くない(?)。

 なので考えを改める必要があるにはあるが、さりとて目下そういった文学に親しみ、ましてや歴史に関心を寄せる暇もないと言えばないのだ(?)。それは多分もっと歳を取って、最悪晩年突入の年代に入ってからだろう(?)。もっともその折には、山岡荘八の『徳川家康』全26巻を読破し(!)、司馬遼太郎も当然読み漁り(!)、また今回の記事にあったような史跡も訪ねまくるといった趣味も付け加え、没頭することにもなろう。