阪神大震災で思い出すこと。

 95年の「1・17阪神大震災から、今日で満20年になった。発生時の5時46分、当時僕は大阪・門真の自宅アパートで就寝中で、寝ボケまなこの中最初夢の中での何らかの揺れだと思った。刹那、部屋全体の横揺れでようやく目が覚めたが、まるで高速で走る電車に乗って左右に激しく蛇行している感覚で、「いよいよこの世の終わりか!?」とまで思ってしまった。結局ウチは倒壊しなかったばかりか、部屋のモノが崩れ落ちたりすることも一切なかったので、「他でも被害はさほどでもあるまい……」と安心して2度寝してしまった。
 しかし、2度寝から起きてテレビをつけたら「さほどでも」どころではなかった。当地こそ震度4だったが、震源付近では6〜7クラス。あとは映像で流れていた通り火災が方々で発生し、阪神高速神戸線も道路の横倒し、JRや阪急、阪神でも駅や線路の倒壊と車両の損壊等々、JRこそ3ヵ月で復旧したが、阪急や阪神、あと周辺地域は少なくとも半年は掛かったと思う。同じ大震災とはいえ11年の東日本大震災と違って都市直下型だったので、津波はなかったようだが被害はインフラの倒壊と火災が主だった。

 思えば阪神大震災は結局、「県境が命運を分けた」とも言える。気象庁が当日名付けた「兵庫県南部地震」という仮名通り、兵庫南部の尼崎以西の神戸方面までは甚大な被害に見舞われた一方、大阪府下は北部の一部以外は軒並み無事だったと思う。なので僕が受けた被害といっても、東日本大震災でも同様だったが、ライフラインの途絶による被災地優先の生活物資の流通と、それに先回りする形の、第1次オイルショック時のトイレットペーパー買い占めもどきの多発で、3〜4日ばかり満足に買えなかったくらいにとどまった。

 前年の94年末で松下電器を、半ば追われるようにして辞めて未だ失意の中にいたので、仕事はまだ探していなかった。「この世の終わり」と終末思想がよぎったり「安心して2度寝した」のはそんな事情もあったが(?)、今も時々思い出すのは、助かったせいではないが大震災そのもの以上に、むしろその前日の出来事だ。
 在職中の91年に、職場で見初めた先輩で当然年上の(?)ヒトがいて、その夏の天神祭に誘って見事フラれたのだが(?)、以降段々諦めながら結果的に僕の方から職場を去ることにもなってしまった。そして1月16日の月曜日、職場近くの駅構内の中華屋に夕飯を食べに入ろうとしたところ、偶然再会したのだ。厳密には僕が店外でメニューを眺めているところを、彼女とその同僚の女性が見つけ、声をかけてきたのだ。
 2人ともその日たまたま定時退社だったか、僕に後ろ指を指すどころか、やや悲しげな表情で声をかけてきたのが今でも瞼に焼き付いている。僕は何とか平常心を装いつつ(?)
 「ありゃま、2人ともどうしたんですか??」
 「この近くのお好み屋でお好み食べてたんです」
といったやりとりのあと、「じゃあ、またいつかどこかで……」とサッサと中華屋に入っていった。
 その後一切の音信不通で翌日の大震災だったが、2人とも大阪府下在住なので揺れが大きかったとはいえ、よもや被災していないはずだ。