「選挙棄権は非国民!」のMy持論を後押しする(?)コラム。

 第2次安倍内閣で2閣僚の途中辞任もあったとはいえ、14日の総選挙で自民・公明両党が絶対安定多数ばかりか、参院で否決の法案を再可決・成立までできる3分の2(317。憲法59条2項)をも飛び越えて、326議席と再度の圧勝となった。しかし投票率が戦後最低を更新して52.66%と、47%超が棄権したことに業を煮やした僕は、ツイッターで「棄権は選挙権の有難みがわからない、非国民のやることだ!」とつぶやい……いや、叫んだ(?)。

 選挙権をゴミのように捨てた棄権者を中心に、是非振り返らなければならないことがある。これはもう既に小・中学校の社会科で習うことだが、1889年(明治22年)だったか選挙権は認められたが、大日本帝国憲法下で何を考えたか、25歳以上の男子のみでしかも何円かの「料金」というか「年貢」というか、徴収していた。現在の「満20歳以上の日本国籍を有する男女で無料」(とはいえもちろん実際は今回も700億もの税を投入、間接的に有権者1人当たり1000円前後はかかったろう)になったのは戦後で、その間何十年もの間普通選挙の実現のために戦ってきた先人たちが数多くいたわけだ。

 確かに今回の解散・総選挙は争点が無さすぎ、事実上の自公政権追認投票に過ぎなかったかもしれない。しかし今回ばかりは、未だ1票の格差の問題が燻っているとはいえ現行の法の下で、安倍首相が完璧に上手くやった、してやられたとしかいいようがなく、もしそれほど自公政権に入れたくなければ他の野党に入れるべきだったろう。共産党が3倍近くの21議席を獲得したのは、明らかにそんな表れだ。なのに「自公はもちろん、他の野党にも入れようがない」と棄権するのは、翌15日のNHKスペシャルでの徹底討論で民主党を中心に「我々野党も不甲斐なさ過ぎた」との敗戦の弁の通り以上に、棄権した有権者も不甲斐なさ過ぎたとしか言いようがない。明治から昭和の戦後の時代に至るまで、現在の投票制度にすべく戦ってきた先人たちへの「感謝報恩の精神」もすっかり忘れているという意味で、「非国民だ!」と批判したいわけだ。
 

 そんな中、今日の朝日朝刊12面(金融情報)右上にあるコラム「経済気象台」に「棄権は罰金」と銘打ってこうあった。棄権した47%超の有権者は名付けて「棄権党」で、諸外国では「棄権党」撲滅のため様々な取り組み……被選挙権の剥奪、選挙人名簿からの抹消、果ては入獄させる国まである。しかし一番多いのは罰金で、ベルギー、ルクセンブルク、スイスの一部の州、豪州等がある。豪では罰金が原則20豪ドル(1900円超)で、そのためか投票率95%を維持しているという。

 だからと言ってそういったことを日本でも、公職選挙法を改正して……というのも僕は反対だ。特に入獄に至っては極論というのもあるが、事実上の「権利行使の義務」という訳の分からない事態に陥るからだ。ただ、棄権者に言わせれば「行使しないのも権利」だろうが、明らかにそれも詭弁だ。だから非国民なのだ。