僕的好評連載中の「経済史を歩く」(!)、次回は40年不況下での山一証券に日銀特融。

 今日の日経朝刊11面(日曜に考える)で連載中の「経済史を歩く」第3回目は、1946年創業の東京通信工業、言わずと知れた現在のソニーだが、正直あまり関心のないテーマだった。ソニーの原点を探るのは、ソニーステークホルダーのみで良かろうと思っていて、今日のところは軽く読み飛ばした。
 しかし次回の予告が「山一に日銀特融……日本型金融システム」とあり、こちらは一転して『メディアの興亡』(杉山隆男著・文藝春秋)読破直後に“My研究テーマ”にしたくらい、僕的関心が高い(!)。これも言わずと知れた、65年(昭和40年)に当時の大手4大証券の一角だった山一が、「運用預り」の失敗というか行き過ぎで巨額損失を出し、これも当時の日銀法25条に基づいた特別融資を27年(昭和2年)の昭和恐慌以来に発動、興銀・富士・三菱の大手行経由で300億弱の資金を供給して、日本発で世界に波及しかねなかった“山一ショック”を何とか食い止めたという一件である。そして僕的に御多分に漏れず、この件でもMy参考文献が4冊あるくらいの名高い話である……「前回の3冊」プラス『証券恐慌 山一事件と日銀特融』(草野厚著・講談社文庫)だ。
 ただ、それも半世紀近く経つ今も名高い周知の話ながら、ではその原点を探ることで現在にどう生かすか、教訓として肝に銘じなければならないのか……大体“我が3冊プラスワン”もそれぞれ上梓して20〜30年にもなるし、それほどのスーパータイムラグ(?)を埋めるべく是非そんなようにまとめてくれれば読み甲斐がある(!)。
 また、その時はせっかく立ち直った山一証券が、32年経った97年にいわゆる「飛ばし」が命取りになり、今度こそ政府・日銀にも助けて貰えず経営破綻したことを、特融の受け入れ&返済当時だった、60年代後半(昭和40年台前半)における山一のステークホルダーが健在ならどう思ったかにも関心がある。当時の新聞・テレビでも取り上げられていたかもしれないが、あいにく忘れたか見そびれたようだ……
 「へえ〜……って、あっ、もうわたしの話じゃないのよね」
 「いいよ。つきあってくれるんなら、いくら突っ込んでくれても」
 「さっすが山川君!!……だってブッチャケもうちょっと山川君とお話したいんだもん」
 「あ〜またまたウレシさのあまり滂沱の『涙のジルバ』」
 「何言ってんだか!?……って、ちゃんと歌の練習はしてるのッ!?」
 「至って順調そのもの」
 「……じゃあ、今度ウチの部屋に歌いに来なさい」
 「僕はそこまで命知らずじゃないよ」
 「ダメッ!!……至って順調なんでしょ、だったらその成果を見せてよ」
 「ウッカリしたこと言えないなあ……はい、わかりました」
 「それはそれとして、ねえ、昭和40年ってゆーと、わたし5歳の時なんだけど」
 「え゛っ……!?」
 「ああ〜っ、え゛って何よッ、え゛って!? 何が言いたいわけ!?」
 「10か15じゃなかった!?」
 「もお〜っ、山川君ったらひっどお〜い!! わたしのプロフィール知っててそんなこと言うの!?」
 「えっと、ひいふうみい……あっ、ゴメン間違ってた、やはり5だ。5」
 「もお〜っ、山川君こそ当時の実体験があるくらい、トシ食ってんじゃないの!?」
 「残念でした、僕はまだ生まれてないね」
 「ウッソだあ〜、それだけのこと知っててえ〜!?」
 「だから、あくまで“3冊プラスワン”の本読んで、教養として身につけてるだけ。幸か不幸か実体験も何もないね」
 「ウマく逃げたな!?……ねえ、でもその4冊の難しい本と、さっき言ってくれた『高田みづえの〜』……わたしの本も、山川君の愛読書だったりする?」
 「だったりするよ、当然!!」
 「4冊ほどそんな高度なこと書いてないけど……!?」
 「高度も低度もないね。如何に自分のために書かれているかだとか、如何に自分の好きなヒトが書いているかに尽きるネ」
 「ウレシイ〜!! ありがとう……」
……こんな「読書法」もあっても良かろう(!)。