『経済史を歩く』第2回「新日鉄誕生」……やはり周知の話が多かったが。

 今日の日経朝刊11面(日曜に考える)で先週から始まった連載記事『経済史を歩く』、その第2回が予告通り1970年の「新日鉄誕生」だった。そしてザッと一読してやはりMy参考文献3冊……『メディアの興亡』(杉山隆男著・文藝春秋)、『小説日本興業銀行』(高杉良著・講談社文庫他)、『日本興業銀行七十五年史』(旧興銀編)の既述の概略、つまり周知の話が殆ど、また、末尾や別途囲みで今秋の住金との合併に触れていたのも思った通りだった。
 冒頭で“例の日”68年(昭和43年)4月17日朝の、八重洲にある八幡製鉄本社の模様が描かれていたが、『メディア〜』や『小説興銀』にはあった毎日朝刊のスクープで騒然としたといったことまでは案の定伏せられていた。やはり『メディア〜』に言わせれば、八幡製鉄と富士製鉄の合併のスクープが「10年20年に一度の大物」だったので、抜かれた側の悔しさが40年超経た現在も消えないのかもしれない。しかしこのスクープはモノにした毎日を讃えるべきで、記事を書いた当時の大阪本社経済部記者・硲宗夫氏の持つ取材力や、その硲記者に結果的に合併をリークした、折しも八幡から日新製鋼に移る一役員との人脈もあっての“勝利”で、多分に運も左右したと今も『メディア〜』を読み返すたびに思う。
 結局今回「原点」を探ったのは八幡と富士の合併、新日鉄発足における紆余曲折で、1901年にできた官営八幡製鉄所までの言及もなかったが、やはりそこまで遡る必要もなかったようで、周知の事柄の「原点回帰」という点で言えばよくまとめていたと思う。あと詳しくはそれこそ、何度でもそれら3冊その他にあたればいいわけだ。