「大スクープは得てして大誤報」の典型だが……

 3ヵ月ほど前の7月8日付産経朝刊で「中国の江沢民国家主席が亡くなった」というスクープを書いたらしいが、昨日かの国の人民大会堂で開かれた「辛亥革命(しんがい)100周年記念大会」に“鬼籍入りしたはず”の張本人も招かれ登場、急遽産経は今日の朝刊で謝罪記事を載せることになった。かねてから言っている通り、僕は全国紙で唯一産経をとっていないので、件のスクープのことももうひとつわからなかったが、今日の日経朝刊30面(社会)に小さくベタで出ていたのにまるで促される形で、今日の休日出勤の昼休みに昼食のおにぎり4個と共に(?)久し振りとなる産経を買った。
 1面下の方に囲みで「おわび」が出ていて、3面に「経緯説明」ともあったので、めくる瞬間、さぞかし一面フルに使っての“言い訳のオンパレード”(?)だろうと思っていた。しかしスペース的に1/8程度の小さな“言い訳”で終わっていた(?)。
 まあその是非はともかくとして、その中で“1発目のニュースソース”が香港のテレビ局ATVで、7月6日に「病死」と報じたのがどうやら事の発端のようだ。そして前後して本人の“安否”情報が入り乱れる状況下、産経もその裏取りを進めたところ、日中関係筋等から「病気療養中だったが6日夕、北京市内の病院で亡くなった」という、今思えばガセ情報をキャッチした(?)。こうして東京編集局に持ち帰って全般的分析した末にGOサイン、7日の電子版号外並びに大阪本社の夕刊においての第一報と相成ったという。だから厳密には夕刊のある関西で最初のスクープだったわけで、既に夕刊のない関東以北は8日付朝刊まで待つ形になったということだ。
 「大スクープは得てして大誤報に化ける」とは、時折口さがない向きがヤッカミも込めて言うセリフだ。古くは1969年(昭和44年)元旦の読売朝刊「三菱銀・第一銀が合併」とか、僕的に覚えているのがふた昔ばかり前の毎日夕刊だったか「グリコ・森永事件の実行犯“怪人21面相”捕まる」、そして先般8月4日の日経朝刊「日立・三菱重が経営統合」があろうが、読売と日経の場合はその後の情勢の変化でそうならなかっただけで、大誤報にまでは至っていないというのが僕的見解だ(!)。もっとも読売こそ高杉良氏のノンフィクション『大逆転!〜小説三菱・第一銀行合併事件〜』『大合併〜小説第一勧業銀行〜』にある通りの経緯があって合点がいくが、日経の場合は若干らしからぬフライング的側面もなきにしもあらずだ。また、次元は違うがこれも20年以上前の朝日のいわゆる「サンゴ事件」は、完璧な捏造&自然破壊なので遺憾なのは言うまでもない。
 しかし、ふた昔ばかり前の毎日共々今回の産経は、残念ながら寸分たがわずその通りになってしまった。余談だが、こうして改めて新聞購読を考えてみるに、やれ「誤報だ」「捏造だ」と批判するのは至って簡単なのだし、読者たる我々としてはとる以上は最低3紙、百歩譲って2紙はないと時折危険ですらある。昨今の一般家庭ではデフレもあって「平均1紙未満」という遺憾な事態(?)だが、まあ僕の「目下8紙……朝日・毎日・読売・日経本紙・日経産業・日経ヴェリタス・日刊工業・株式」が多過ぎて異常なのか(?)、他人の「1紙未満」がアホバカの典型なのかは(?)、今後の勝負の結果如何だろう(?)。