いっそ最高裁国民審査を内閣審査にできないか!?

 今日の毎日朝刊5面(総合)にある社説の2本目に、衆院選と同時に行なわれる時があるものの我々有権者も大方何気に「無印(信任)」か「×(罷免)」をつける(?)最高裁裁判官の国民審査についての論説があった。憲法第79条2項に曰く「最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行なはれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行なはれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする」とある国民審査も、我々満20歳以上の日本国籍を有する者に与えられた参政権だが、社説の見出しにも本文にもある通りすっかり形骸化して久しい。
 いや、形骸化より何より司法の世界、なかんずく最高裁を筆頭とする裁判所の内部に関して、我々有権者がどれだけ理解しているか甚だ疑問なのがまず挙げられる。地裁での第一審のみとはいえ発足から来月で2年になる裁判員制度でまた一歩、司法試験の勉強すらしたことがないばかりかウチに六法全書すら持ちあわせていない者であっても裁判の世界に近づくことができてはいるが、二審の高裁以上は未だに遠い距離があるのが現実だ。裁判関連で弁護士なら、メディアに登場して有名になり人気が出れば、後に大阪府知事になる橋下徹氏その他のように我々も「判断材料」が色々得られるが、こと裁判官ましてや最高裁となるともう訳がわからないのも現実だろう。
 最高裁長官は内閣の指名に基づき天皇が任命し(憲法第6条、裁判所法第39条1項)、判事は内閣が任命し(憲法第79条1項)天皇が認証する(裁判所法第39条3項)というのも小学校、いや、遅くとも中学校の社会科(公民)で習うはずの……早い話義務教育で必ず習うはずの国家の根幹にかかわる一般常識のひとつだ(もっとも裁判所法までは僕は習わなかったし、今も指導要綱にはないだろうが……教科担任が教科書外の余談として話すことはあるかもしれないが)。もっとも実際は天皇が長官を任命といっても「内閣の指名」がないとなされないから、事実上内閣が直接任命しているといっても良かろうし、大体その天皇の国事行為自体が内閣の助言と承認を必要とするから(憲法第7条)、三権分立の下そこかしこで時の内閣のチェック&バランスが働いていると僕的には受け取っている。
 だからいっそのこと、せっかく現憲法の有史以来60年以上認められてきた国民審査権なのだが、もうここで内閣に委ねるわけにはいかないだろうか。事実上判事の任命権が内閣にあるのに、それを我々が審査せよというのはちょっと妙な話だと最近になって思うようになったし、内閣自体だって一応制度上は我々が総選挙を通じて総理大臣をはじめ間接的に選び、チェックしているのだ。しかしそんな憲法改正とそれに次ぐ国民審査法改正も、日本国憲法そのものがいわゆる硬性憲法であり続ける限り至難の業なのは自明の理で、シブシブ諦めざるを得ないだろうが……