新聞も、その読者も、これからが正念場なのだ。

 今週火曜、11日発売の『週刊ダイヤモンド』15日号を、今日ようやく買えた。今週の体調不良のため欲しくても行きつけの書店に買いに行けなかったが、「収入減、新メディア勃興のダブルパンチ! 新聞・テレビ 勝者なき消耗戦」という特集はどうしてもスルーできなかった。もし売り切れまたは早々と返品されて在庫ゼロならまた都心まで出向く覚悟だったが、幸いまだ売り切れでもなければ返品もされていないようだった。
 近年このダイヤモンドや東洋経済等で折に触れて、もう旧メディアと言っていいのか新聞・テレビの特集が組まれては両業界の苦境についてレポートされているが、今回も引き続きの形だった。その中で何点か目を引いた内容を挙げたい。

 1.朝日も遂に電子版スタートか!? 
 これはダイヤモンドの広告のコピーにもあったことで、まだ当の朝日には社告等の公式発表すら紙面に出ていないので、驚き半分、案の定という思い半分である。当然にことながら昨年一杯、朝日なりに日経の動向を研究したようだ。ただ日経はかねてから基本合売の形をとり専売店が極端に少ないのに対して、朝日は北は北海道から南は鹿児島までの販売網があって、電子版スタートが「紙を食う」懸念があるようなら初めから電子版はやらないことにするという。
 しかし『メディアの興亡』(杉山隆男著・文藝春秋)を愛読書に持つ僕的には、かつて40年程も前に当時の東京芝浦電気と十条製紙との3社共同開発による「家庭電送新聞」の名で、今で言うR&D(Research&Development:研究・開発)に真っ先に取り組んだのが他ならぬ朝日なんだし、日経に先んじられたものの、それだからこそここは将来に向けた勇気ある第一歩を記すべきだと思う。

 2.読売も電子版の研究だけは推進中。 
 もう御年84にもなるナベツネ氏こと渡邉恒雄グループ本社会長・主筆に言わせれば、「紙」のセールスつまり「アナログ」こそ根幹中の根幹であり、ネット関連ましてや電子版をも含めた「デジタル」は二の次で十分らしい。朝日が部数でとうとう800万を割り、毎日・産経も長期低落傾向に歯止めがかからない中、読売は「大台的に風前の灯」ながら1千万を堅持(公称1002万)していて、やはり務台光雄氏以来の成功体験から抜け出せていないとの批判が根強いという。しかしそれでも東京・府中工場で「戦闘準備」だけは着々と推進しているらしく、「競馬に例えれば日経が逃げ、仮に朝日が2番手以降でマークなら、読売は更に後方待機……そして最後の末脚つまり長年培ってきた販売力に賭ければいいんであって、今からジタバタと慌てなくていい」とも解釈できようか。
 しかしもしあの正力松太郎氏がいたら、既に読売が電子版をスタート……つまり日経のハナをたたいていたかもしれないと思う。そもそも日テレというテレビ事業もNHKに先んじてスタートさせた、いや、させなければ気が済まなかったらしいし、古くは紙面にこれまた最初にラジオ欄を掲載したり野球でジャイアンツ創設など、今も是非は多々あるにせよ常に最先端をいく経営で読売を引っ張ってきたと我が愛読書にもある。
 そう考えるとナベツネ氏は正力タイプでなくして、むしろ務台タイプなのかとも思う。

 3.日経産業新聞廃刊だと!? 
 37ページにたった1行、何気にサラッと書かれてあったが、もう僕的に衝撃の“スクープ”である。数年前のダイヤモンドで「日経金融新聞廃刊が検討されている」とあった通り、僕的に半ば残念ながら日経ヴェリタスに「新装開店」して現在に至っているが、今回の日経産業の件は「話が持ち上がっている」とあり、若干ニュアンスが違う感がある。もちろんそういう公式発表も全くない。
 しかしもし日経産業が廃刊になったら、即行で日刊工業新聞を代替補充という形でとらざるを得ない。ただしそういう人なり事業所等が増えて、果ては僕と違って「じゃあもう日経本紙も電子版もいらないや」と日経本紙の部数と電子版の契約件数にまで影響が及んでは、日経にしてみればまさに今週号のタイトルにもあるダブルパンチどころかトリプルパンチに見舞われる。日刊工業にとっても長年日経に苦汁をなめさせられた、その反撃の千載一遇のチャンスにもなる。だからそういうことはまずあり得ないと念願を込めて思いたい。

 まあ僕もかねてから言っているが、新聞も本も読まない輩はまず間違いなく馬鹿になる。大阪時代に松下電器(現パナソニック)に勤めていてそんな無定見的・無見識的な輩が大多数だったのを実感しているので、他所でも似たり寄ったりのはずだ。だからそんな輩は今はまだよくても将来必ず路頭に迷う目に遭う。それは昨春4月16日も言ったが主に派遣切りに遭った失業者連中にも言える事だ。普段からそれらを読む自己研鑽を怠ってはいけないことが、未だにわからない輩も大多数を占めているらしい。新聞や出版の部数減は圧倒的多数の筋金入りの馬鹿者共がシカトしているためが先にあって、その点は必ずしも活字メディアの責任ではない。まずはそんな馬鹿者共の自己責任だ。
 しかし30年以上前に読売の社会部記者であった我が愛読書の著者・杉山隆男さんも件の著書、並びに『朝日新聞よ、変わりなさい!』(葉文館出版・99年)のインタビューの中でも語っていたが、新聞社も新聞社で昔から「真の民間企業」になりきれず旧態依然としていて危機感の欠如が甚だし過ぎ、そのツケが今頃になって致命傷になりかねない勢いで押し寄せている感がある。かつて毎日の政治部記者で後に退社しフリーになる故内藤国夫氏も、20年程前に月刊誌『ビジネス・インテリジェンス』「特集:毎日新聞の読み方」の中で、そうした新聞社共通の要因として3点……取材を受けることが皆無なので緊張感を持ちにくい、主に使用語が日本語なので国際競争とはほぼ無縁の左団扇、株式上場がなされないので経営面でのチェック機能が働きにくい……といったことを挙げていた。
 もうここまで来たら最早全国紙もブロック紙も地方紙も関係なければ、一般紙も経済紙も業界紙もスポーツ・夕刊紙も…といったカテゴリーも関係ない、全新聞社による椅子取りゲームなりバトルロイヤルの様相を呈すから、僕的にはどの新聞が読めてどの新聞が読めなくなるのかがわからない。そうなったらそれこそ杉山さんも『メディアの興亡 PART2』更には「3」「4」「5」…と執筆を迫られるんじゃないか(!)。