東谷氏の最新刊と、職場恋愛断念の後日談(12)。

 今日は4週振りの土曜休み、つまり明日と合わせ週休2日のプチ復活である……しかし次週にはまた土曜出勤再開だろう。ともあれ好天にも恵まれ、今日ようやく地元書店に出向いて先日ほんの3日前に取り上げた『日経新聞を「正しく」読んで最新経済に強くなる本』(東谷暁著・草思社)、そして一昨日買う筈だった毎月恒例の『鉄道ジャーナル』12月号(第530号)を買ってきた。
 内容の吟味は追って行なうことになるが、巻頭のまえがきで僕的に早速「東谷流辛口フレーズ」を見つけた。ラストのくだりで「所詮、偉そうに経済知識をひけらかすわ、日経新聞を読んでるのを吹聴するわといった輩はつまらない人種だ」といった一節だ。
 確かにそうかもしれない。しかし決して「ひけらかす」のではなく、「知ってることをTPOに応じてアピールする」人が本当に賢い人だろう。大体それくらいしないと、働いている場面では勿論、そうではない場面でも何かと損得の差が出て仕方があるまい。これは僕自身への戒めでもあるのだが、むしろひけらかすくらいドンドン表現しないと、逆に「何も知らないと思われる」懸念の方が大きいと思う。
 また、経済情報は日経新聞が断トツなのは今も間違いなく、いつまで続くかわからないのも是非は別にして否定できまい。ならば日経を読んでいることを、読者が吹聴する必要はないにしても時としてそういう姿を見られるのも避けられまい。それを指さして「つまらない輩だ」と言われたり思われたりするのは心外千万だ。いや、言いたいなら言え、思うんなら思えと柳に風と受け流せばさすがなのだろう。
 僕的に過去こんな話がある。今日の題名にある通り「例のシリーズ」4ヵ月振りの復活(!?)なのだが、93年か94年か忘れたが松下電器(現パナソニック)の、当時大阪門真市にあったディスクシステム部にいた時、某班長に呼び止められこう頼まれた。
 「山川君、◯月×日付日経朝刊はまだ持ってるか?……持ってたら明日にも貸してくれないか?……ちょっとあの記事が気になってな」
 「ええ、その日付ならまだ1週間か10日しか経ってないので廃品回収にも出さず、ウチにありますから持って来ます」
 そして翌日朝か、早速持って出向くと「おっ、ありがとさん」……いやはや驚いたが、思い当たるフシがないでもない、2つばかりあるのだ。ひとつは92年2月の僕の「起死回生の一筆」(!)……『My Faborite Books(わたしの愛読書) 「メディアの興亡」(杉山隆男著・文藝春秋)』を口には出さないもののキチンと読んでくれていただろうこと。もうその2日間のやり取りでピンときて見抜いてしまった。今もだが、その班長を「さすが数少ない真の松下マン」と評価してやまない。
 更に余談として今だから言えるが、あとは僕にとってそれほど大した上長らしい上長はおらず、それも松下をやめた一因だと付け加えておく。やっぱ新聞のとり過ぎ、読み過ぎのせいなのか(!?)…… 既にVol.(11)以前で述べたが、当時僕は産経以外のセット紙全紙と日経産業、日経金融(現日経ヴェリタス)、日刊工業、株式、證券新報(現廃刊)、それに雑誌で日経ビジネス東洋経済までとっていたから、まあ『メディアの興亡』に触発されたとかJR東日本株式上場など僕的事情もあったにせよ、そういう僕と上手くコミュニケーションが取れず使いこなせもしない輩が不甲斐なく見えたわけだ。
 そしてまたそれがあれ程大量のアホバカ連中の増殖につながり、最早僕と彼女との職場恋愛などできる芸当の環境には程遠かったのだ……そら妬くわなあ……これほどの僕にそこまで人生うまくいかれてはクソ面白くもあらへん……やから有形無形の邪魔を入れて当然やわな……!? せやけど余りにも松下マンとして、社会人として、いや、人間として、悲し過ぎるで、ほんな考えは!
 そしてもうひとつ。その班長は僕の直の上司ではないのだが、何を隠そう91年7月25日に僕のことではない全く別の事情含みとはいえ天神祭に誘った僕を振った、安田成美だか田中美奈子だかに似た美人の先輩の上司ではあった(!)。
 「なるほどな……振ったのを後悔した彼女に頼まれたか何かか? いや、僕が日頃から彼女を放ったらかしにしての(?)『VS日経ガチバトル』に業を煮やしたか何かの彼女を見かねて(!?)班長が動いたか……そして『◯◯さん、これが山川が読んでるっていう日経新聞だ。これ山川から借りてきてやった』って按配だったんだろう。『あの記事が気になる』云々はあくまで表向きだったろう」
 しかし何だかなあ〜?…もしそうなら、彼女も彼女でまたまた何でそういうまわりクドいことをするのか。日経新聞くらい駅売店で買うか、さもなくば僕に直接言うかしてくれりゃいいものを……朝刊1部売り120〜130円(当時)すら勿体なかったのか、僕に全く無関係の事情があったとはいえ、数年前に振っちゃった手前言い出しにくかったのか……?
 ただ、「買おうとしたけど、売店の前で緊張しちゃって買えなかった」……としたら、確かに子供じみているもののそれはわかる(!)。僕も同じ経験があるからで、産経(当時サンケイ)をとり始め、日ならずして日経購読も考え始めた87年11月か、忘れもしない近所の京阪西三荘駅売店で初めて朝刊を買おうとして極度の緊張感に苛まれたのだ。しかし買ったところで別に取って食われるわけでも(?)、刃物で刺されたり銃で撃たれたりして殺されるわけでも(?)ないんだから、その時は平静を装って(?)買うことができた。
 まあ現在でこそコンビニでも売っているので他のと一緒なら緊張は減るだろうが、90年前後当時は未だコンビニ販売がなかったか、或いはそれが定着し始めた頃で、定期購読ではないバラの即売は駅等の売店と新聞宅配所にほぼ二分されていたはずだ。
 あれからそろそろ23年になる今となっては懐かしい思い出ながら、それにしても一体何なんだろう、別に誰がジロジロ見てるわけでもないのに(?)日経新聞に初めて接する時のあのプレッシャーは…? また、朝日等にはない日経独特のあの言い知れぬオーラは…? あの時無事買った(?)後も、所詮数百グラムの重量の「紙の束」に過ぎないにもかかわらず、本当に「重たかった」が第二印象だ。ただ「重い」ということで言えば、現在の方が遥かに重かろう。何しろその当時は基本32面立てだったが、現在では印刷の技術向上とその拠点の増加からか40面立て、そこへ広告特集が入ろうものなら44〜48面立てという日もある(!)。
 まあ東谷さんなら、そんなこんなで日経を読みこなせるのがどれだけのステータスを持つか十分お分かりだろう。僕の場合は、松下に入る前の87〜89年にかけてJR大阪駅売店で新聞即売のバイトをしていたのがきっかけで、別に義務からではなく自発的に産経・日経・朝日という順で自腹でとり出し、平行して杉山さんの『メディア〜』に触発もされたのが、現在に至る全ての原点だ。
 だからそんな僕をつまらないと思うなら思えばいい。そう面と向かって言いたいなら言えばいい。こっちだってそんな輩こそ、この世で一番つまらない輩だと思うから。大体「つまらない輩」と「人でなし」は決してイコ−ルでもなかろう。松下をやめたのもそんな理由もあったといっても過言ではない。