諦めばかりの人生だった大阪での35年間。

 今日仕事中にふと「大阪在住の35年間は、おしなべて夢も希望も叶わなかった、諦めばかりの人生だった」と急にへこみ、泣きそうにもなり遺憾ながら手が止まってしまった(!?)。
 とりわけ、やはりこれまで綴ってきた通り仕事と恋が大きかった。「ぽっぽや(鉄道員)」を目指したものの転校につぐ転校で基礎学力がつかず事実上の断念に追い込まれ、その間中学での初恋も僕の姿勢にも問題があったにせよご多分に漏れず叶わなかった。また、せっかく松下電器(現パナソニック)に入ったもののそこでの恋にも躓いて、相手のヒトをたった1度のデートもできなかったまま諦めさせられたのみならず、挙句の果てに事実上追われる身にもなった。
 一体何故だろう……確かに僕の落ち度を数え上げたら枚挙に暇がない。しかし、それは周囲のちょっとしたバックアップさえあればいくらでも何とかなったはずである。バックアップを期待するのが甘えなら、じゃあこの人間社会は一体何かに悩むことになる。
 上京してきた7年程前に一度「どうやら大阪で生まれ育ったのがそもそもの間違いだった」と結論づけたことがある。それは今も間違っておらず改める必要も全くない。何故なら大阪時代から都内某所に住みたいと思い続けて念願が叶ったし、今携わっている仕事もかつて諦めた「ぽっぽや」につながっている尊いものだからだ。
 残るは恋、か……アラフォーにもなって今頃とは情けないが、僕以上に大阪の連中が馬鹿ばっかりだったし、上京してきてやっと「諦めないこと」の意義がわかったから今度こそ……!