今日アラファー到達の高田みづえさん。

 「もうあれから25年かぁ〜……光陰矢の如しとは言葉の生みの親は知らねどよく言ったものだ」
 実は僕が本格的に高田みづえさんの歌の数々を聴き始めたのは、丁度四半世紀前の高3の時、みづえさんにはごめんなさい、あいにく引退の年の85年(昭和60年)になってからだった。FMラジオでみづえさん引退特集が組まれ、そこでかつてテレビ等で聞いたことがあった『硝子坂』や『花しぐれ』 『私はピアノ』 『蒼いパリッシュ』 『通り過ぎた風』 『そんなヒロシに騙されて』 『秋冬』のみならず、『涙のジルバ』 『原宿メモリー』 『かげふみ』 『悲しきロンリーガール』といった、オリコンデータを見るとあまり売れなかったようながらもっと売れて然るべき、それまで聴いたことがなかったホントにいい歌も初めて聴いた。
 因みに「My ’85年10大ニュース」を挙げると……1.東海道・山陽新幹線2階建て100系デビュー 2.『8時だョ!全員集合』大団円 3.ここですかね、みづえさん引退・結婚 4.日航ジャンボ機墜落事故(とはいえ被害者に知人は居ず) 5.G5(先進5か国蔵相=現財務相=・中央銀行総裁会議)に於けるプラザ合意による急激な円高。後の円高不況の伏線 6.遂に行けなったが筑波万博 7.競馬で84年の三冠馬シンボリルドルフ、暮れの有馬記念も快勝・2連覇し史上初の七冠達成。日本での有終の美で2年連続JRA年度代表馬に選出……結局10も挙がらなかったが、別れあり、また新たな出会いあり、新時代の到来ありという年だった気がする。
 「へぇ〜そうなんだ。まあわたし的には当然3.が1.なんだけど、その2階建て新幹線っていうのがやっぱり山川君らしいなァ〜…あれはわたしもビックリしたけどネ。そうかァ〜それもキミの青春だったってわけだ」
 「あっ、そうそう、2.の『全員集合』はわたしも同感!見てて、そして出させて貰って…ホント一生の宝だもん!」
 「4.…そうね…あの大事故は…わたしも何とも言いようが…あの事故で大先輩の坂本九さんが亡くなられたから…」
 「5.は難しくてわかんないっ!…そもそも山川君のフィールドでしょっ!?」
……お察し頂き恐縮です、といったやり取りでもできないものか。まあ「全員集合エピローグ」の数日後の10月1日に「100系時代のプロローグ」だったのも、今振り返っても何だか劇的だった(!)。
 そして程なく、オリコン誌上に「売りたし:みづえさんのシングル」という怪しからん投稿(!!)があったので、即刻その怪しからん輩に(!?)返信用封筒入り封書で連絡を取った。そしてその「売りたしリスト」を送ってもらったが、確かオールナンバーとはいかない10枚ほどだったか、それでも全枚一括購入が条件とあったので、それを呑むことにして前払いとして現金書留で送金……こうしてファーストコンタクトから2往復で約10日ほどかかったか、ようやくその不逞の輩から(!?)みづえさんのシングルを引き継いだ。
 「山川君、ちょっと不逞の輩は言い過ぎじゃない!?」とでもお叱りが来そうか(!?)。すみません、事もあろうに「売りたし」ときたもんでつい……しかし考えようによってはその不逞…もとい(!?)そのみづえファンと目される人は、引退を機に「みづえさん8年間ありがとう。さようなら」のつもりだったのかもしれない。やはり当時、ファンの対応は真っ二つに割れたのだろう……レコード等のみづえグッズを「永久保存する」か「さよなら売却する」か……まあそれはみづえさんに限ったことではないだろうが。
 しかし……振り返れば初めてみづえさんをテレビで見たのは小学生の頃、70年代末で大方『8時だョ!全員集合』でのことだったと思う。その時のみづえさんの第一印象は、これもみづえさんごめんなさい、ブッチャケ最悪だった(!?)。
 「何や、このケッタクソ悪い女は!? 誰や!?」…確か後半のショートコントで出てきたか何かだったと思う。その時まだみづえさんの持ち歌、ましてやみづえさんの名前までも知らなかった。コントの相手は大方志村だったか、内容もいうまでもなく既に忘れているので何ともいえないが、コントとはいえ応接がツッケンドンで可愛げもヘッタクレもなかった感じがした。
 しかしそんな最悪の雰囲気を一掃したのが、コントが終わって即だったかもう1本別の人のコントを挟んでからだったか、とにかく歌に入った時だ。引き続きその「ケッタクソ悪い女」……ああ、ホントにごめんなさい!みづえさん(!!)……がマイクを持って登場。画面にテロップが出たので「高田みづえいうんか…どんな歌歌うんや!?」と聴いたその歌(タイトルまで失念!重ね重ねごめんなさいっ)のお陰で「あれっ!?…エエ歌歌うやん!」と小学生らしからぬマセたガキが(!?)抱いた印象をほぼ180度引っくり返してくれた(!!)。詩と曲はもちろんだが、みづえさんの抜群の歌唱力もあり、まさに「三位一体」の破壊力である(!?)。
 「手前味噌的自画自賛で恐縮だけど、歌の力偉大なり!かな?……山川君?」ハイ、おっしゃる通りです(!!)。ただ、以降は92〜93年頃か、松下電器にいた時に飲み会の2次会で渋々カラオケに行った際……
 【ちょっと余談だが、当時カラオケの趣味はなく、ブッチャケ迷惑千万だった(!!)。しかも、後に諦めたとはいえ、また仕事上の班が分かれていたとはいえ、仮にも好きになった彼女とはついぞただの1度もカラオケで一緒にセッティングしてくれることはなかったから、是非は色々あるが僕へのいわれなきイジメみたいなものだったろう。当時の幹事よ!最早迷惑千万でしかなかった1・2次会において、それにグッと耐える僕の姿・表情がそんなに可笑しかったか?愉快痛快、後日の噂話の種にもってこいだったのか?】
 ……そこで、今でこそ先般大阪で入ったカラオケ喫茶みたいにかなりのナンバーを網羅しているが、当時『そんなヒロシに騙されて』 『原宿メモリー』くらいしかなかったみづえさんのナンバーを歌った覚えはある。しかし大好きなみづえさんのナンバーまで超少なく(!!)、返す返すも遺憾千万であり、怒り心頭だった。今思い出しても、泣きたくなるほどの屈辱でもある(!!)。
 「そう……山川君、そんなことがあったの?……でもわたしのこと『ケッタクソ悪い』から『大好き』になってて(?)、あといつだったかな、とうとう『山川君のあこがれのヒト』にまでなってて、それだけが救いかな……?」といったコメントでもあっては恐縮なので(??)、先に予防線を張っとこうか(!?)……みづえさん、そんなにイジメないでくださいよ(!)……あれは若気の至りならぬ幼な気の至りなんですから……
 ただ、そんなこんなで何と10年以上「みづえさんとは疎遠」(!?)になっていた。歌を殆ど聴かなくなったし、松下を辞めた後も何回かカラオケに行ったものの『原宿メモリー』すら歌った覚えもないし(今思えば極めて遺憾である!?)、あるネットの情報で一度テレビにゲストで出てきて「プチ復活」を果たしたらしいものの見なかったばかりか、それ以前に新聞のテレビ欄を見落としていたし…… 
 しかし08年6月、その年の春から契約したJCNマイテレビというCATVでの「ファミリー劇場」にて『ドリフ大爆笑』が再放送され、たまたま『そんなヒロシに騙されて』を持ち歌に登場なさった若かりし頃のみづえさん(!?)と“一緒に”つい口ずさんでしまったのがいけなかった(!?)。
 「懐かし〜!まだCDは買ってないが、じゃあ久し振りにカセットを聴くか」
 こうして一旦火がつくととどまるところを知らない(!?)。ほどなくCDを買う運びになるのは必然だった。携帯サイトAmazon.jpで検索すると「おっ、あるじゃね〜ベストが!」と『高田みづえコンプリート・シングルズ』、そして「えっ!そんなのあったの?…当時毎日とってたはずが知らなかった!」と驚いたみづえさんのエッセイ『高田みづえの相撲部屋おかみさん』(毎日新聞社刊・93年)も一緒に注文した。
 そして今日、「はてなキーワード」のデータに事実誤認がなければ、1960年6月23日鹿児島県指宿市生まれの、現在折りしも揺れに揺れている世界でのおかみさんである高田みづえさん、昨日でもってアラフォーを卒業し満アラファーである。これから向こう10年、きっときっと、ステキなアラファーでいて下さいネ、みづえさん!
 ただ……「アラファーアラファーってねぇ、わたしは今もアラサーのつもりなんだけど!? 山川君より年下のつもりでもいるんだけど…!? ムリ?ダメ?」とでも来たらさあどうするか(!?)。「単刀直入型オシャベリ好き」みづえさん対策も練らなければならないのか(!?!?)。