職場恋愛断念の後日談(9)…しおらしい彼女が僕にちょっぴり業を煮やした時 その1

 90年末の事業場でのパーティーで初めて彼女と話らしい話ができた時、迂闊にも「あまり出しゃばらないタイプが理想」と語ってしまい(!?)、以降91年発生の「7・25事件」(!?)やその秋の飲み会での「口軽過ぎバカ」の一言が引き金になっての事実上の恋愛断念、92年2月の「起死回生の一筆」を経て、周囲には既述のバカ野郎共(他の中途入社組やハケンの連中)が取り巻いていたこともあり、僕としては最早打つ手が見当たらなかった。
 しかし一方で、彼女はどう思っていたのか……今となっては知る由もないが、「山川さんに言わせれば、出しゃばっちゃダメなんだ」と思ってかどうか、彼女からは何のお誘いもなかったことは、データとして残っている(!?)。
 ただねぇ、「ダメ」とまで言ってないっしょ(!?)…「あまり出しゃばらない」と「出しゃばっちゃダメ」では、同じ言葉を使っているものの意味合いとしては天地雲泥の差がある。人の言ったことは一言一句キチンと聞いて、更に意味もキチンと把握してほしかったものである。
 まあ、彼女の中でも「ねえ山川さん、どうしてもう何も言って来ないの!? 私のことどう思ってるの!?」「私も何かしなければ…」という葛藤が渦巻いていたのか、松下電器在籍時の4年半の間、日記等の記録・記憶をたどっていくと3回ばかり、ほんのチョッピリのことだったが、美人でしおらしいステキな先輩が業を煮やしたことがある。いや、業を煮やしたというか、それが高じて少し悲しげな表情を浮かべて話してきたことがある。
 まず「7・25事件」後の(!?)91年10月1日、これは日記に書いたことだが、いや、厳密にはその日に起きたことではないがこんな記述がある。以前の既述でもあるが(オヤジではない)。
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 彼女のところでとっている新聞は、まだ訊いたことがないが、先日僕が
 「とにかくマス=メディアにはカネをかけていまして……新聞でも産経以外すべてとってます」
と言ったところ
 「なぜ産経もとらないんですか?」
と逆に訊かれたことがあった。一応
 「いや、産経までは手が回らないというか、そこまでおカネがないというか、読む暇がないというか……」
と答えておいたが、帰宅後、彼女がやや切なそうな顔をしていた(?)のを思い出して
 「そうか、彼女のとこは産経か!?」
とハタと気がついた。真偽は今日現在なお不明だが……
 産経は確かに安く(月極め3100円)、カラー版の料理面もあってまさしく彼女向きだが、僕向きではない、残念ながら(?)。別に嫌いとは言わないが、先日話した通り、朝毎読と日経3紙で十分、そうなると産経が入り込む余地がないという、ただそれだけのことだ。
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 事情があったにせよ、それがわかっていながら「振られた」腹いせか(!?)…しかし僕は1ヶ所矛盾したことを言っている。なぜ新聞にカネかけてる割に産経のカネがないのか(!?)、自分が言った事ながら前後が見事に矛盾している。まあ朝毎読に、日記にある日経3紙とは日経本紙・日経産業・日経金融(現日経ヴェリタス)を指し、因みに残念ながら日経流通(現日経MJ)は蚊帳の外(!?)、あと書いてはいないが、つまり彼女には話さなかったが、不定期で日刊工業に日本工業(現フジサンケイビジネスアイ)、更には株式新聞と證券新報(新報はもう廃刊)をスタンドで買っているときてるので「手が回らない」「読む暇がない」と、何とか言い訳になったか否かの苦しい「答弁」だったようだ(!?)。
 しかし当時も彼女に食ってかかられて(!?)反省したが「しまった!そうとわかってたら日本工業を止めて、證券新報も週1〜2にする条件で産経に切り替えたのに」…当時JR東日本の株式上場が俎上に載ろうとしており、また、それらを取り巻く諸情勢も把握するために、逆にどうしても削る新聞というとそれらしかなかった。あとの朝日・毎日・読売・日経本紙・日経産業・日経金融(現日経ヴェリタス)・日刊工業・株式……購読料が凄いものの(!!)どれもどうしても削るわけにはいかなかった。まあ、何れにしてもフェミニストとしての面目が果たせなかった(!?)。
 ただ僕が「7月に2度アプローチした末、7・25事件(!?)が起きて一旦振られた」「その後告るどころか何らアプローチすらなし」といった経緯から、その時の彼女は別に僕にとっての彼女・恋人ですらないのだから、日記の末尾にある通り産経まで要らなければ要らないと毅然としていて正解だったとの見方もある(!?)。やれ朝日やれ日経とあれだけの新聞を必要としている一方、産経だけがたまたま要らなかったところへ彼女が噛みついてきたが(!?)、それもそれで僕の重い決断なんだから、もし仮に未だ僕を想ってくれているならそれを尊重する一言がほしかった。少なくとも「あっ、私はその産経なんですよ」にとどめておくべき、ましてや結婚前提の有無はともかく、周囲を取り巻く他の中途組と派遣のとりわけ1紙のセット紙たりとも満足に目を通さない馬鹿野郎連中のせいもあったにせよ、未だ交際すら満足にできていないのに食ってかかるのは言語道断、既に彼女候補すら失格である。
 また、僕に「産経をとらない理由」を訊いてる暇があったら、「あっ、じゃあ私来月から朝日に切り替えますっ!」といった臨機応変的いじらしさもほしかった気がした。まあ、当時の彼女にいわゆる「右か左か」のイデオロギーまであったとは思えないから、筋金入りの右である産経から、筋金入りの左である朝日にチェンジしても別段支障はなかったはずだが、やはり従来から朝毎読より月極めが安かったことが大きく、習慣づいてしまってもいたから無理は無理だったか。
 彼女は何だか古風な面があったようで、僕はそこまで言っていないのに勝手に「男のやることに口出ししない」との持論があるのだろう。が、その時ばかりは言わば口出ししてきたので、要は「それより、どうしてあれ(天神祭)から何も言って来ないの!?」と少し業を煮やしてきたのでもあったのだろう。
 そしてこのひと月後、恒例の社員旅行があったのだが、中途入社直後でまだ彼女を意識していなかった前年と違って、その時はとうとう彼女とは別々にバスの分乗をさせられた。度々言うが、これが松下電器の何とやら……である(!?)。そんな陰険なことをして何になったのか…ただ、特に山川がどんな表情をするか見ものだと、面白半分で楽しかっただけじゃないの?…今もつくづく思うが、91年という年はいい年だったのか散々だったのかわからない。