今日の朝日夕刊の身につまされる表現。

 それは1面右端の題字下にある、かつて読売のナベツネさんが「強いて言えば嫌いなコラム。非常に論理の飛躍があり、読むと血圧が上がるから健康上の理由でシカト」(『VS.朝日新聞』 同紙社会部編・93年)といったことを述べていた「素粒子」だ。目下宮崎県を中心に猛威を振るう、牛豚への家畜伝染病「口蹄疫」について、「その生をこの世に受け、また新たな生命を宿し、育て(られ)、そしてこの世を去っていく、これ全て人間のため。食材にされることと、伝染病対策の最後の手段を下されることとの違いとは…」といった表現にただただ身につまされた。
 何の罪も落ち度もない家畜達は、なのに言わば人間達に命懸けで奉仕する存在…僕にはもうこれ以上論ずる資格はない。せめて思うことは、明日をも知れぬ彼らに比べて、とりわけ僕などは昨今何とおめでたいブログを綴っていることやら…「身につまされた」とはいえ、やれ職場恋愛を断念せざるを得なかっただの、バカヤロー共に言わば人生邪魔されただの、思えば諦めた彼女との接点が少な過ぎただの、それで結局会社を飛び出すことに繋がっただのと、それらが今日明日にも生命に関わることなのか?