かつてあこがれた私鉄のリストラ。

 今朝出勤後、始業前に日経電子版携帯用を眺めていると、今日未明に配信されたらしい1本の記事として関西の大手私鉄京阪電鉄が鉄道部門のリストラというのがあった。まず採用抑制と共に約2000人の乗務員や駅員を定年退職等の自然減によって200人減の約1800人まで減らす。更に希望退職も募る検討もあるという。
 京阪電車はそもそも僕が「鉄男」になるきっかけになった鉄道で、1971年(昭和46年)、当時大阪の沿線在住だったところへ颯爽とデビューした特急用旧3000系「テレビカー」にあこがれてあこがれて仕方がなかった(!!)。もうそれこそ朝から晩まで3000系のことで頭が一杯、クレヨンや色鉛筆で絵を描いた枚数は相当なものだった。

 変な話、まさに「恋」のようなものだったろう(!?)。先日(4月23日)中学時分の初恋のことを書いたが(!!)、今思うとクラスのマドンナすら京阪3000系の「魅力」に抗し切れなかったようで(!?)、「地元鉄道会社に就職したい目標」云々というのはまさに京阪が第1希望、もちろん「恋の相手」を運転するのが夢だったのだ(!!)。まあ子供の頃から鉄チャンだった人はまず間違いなくそんな「初恋」も経験済みのはずだ…新幹線やブルトレ、L特急、SL・EL・DLと言うに及ばず、僕がそうだったように地元私鉄の花形車両、果てはフランスのTGVのように日本では会えない車両などなど。
 3000系は後に快速急行用のあの「今世紀的デザイン」の新3000系デビューに伴って、89年デビューの後継特急用8000系によりやれ廃車やれ大井川鐡道・富山地鉄へ転籍と急速に数を減らした中で残った1編成までもが半ば強引に8000系に編入されたが(!?)、旧3000系を含めいよいよ8000系全車、名物の車内テレビの撤去も終わろうとしている。ネットやワンセグ携帯の普及とか、阪急京都線も同様だがかつて大阪京橋―京都七条間ノンストップだったのが、近年JR新快速とのスピード競争に事実上敗れて地域密着型とも言える停車駅増加施策に転換、短距離の乗降客がいちいち基本NHK総合しかつけない車内テレビを見るとも思えず余剰設備とされたためで、やはり一抹の寂しさはある。
 「恋」は結局破れた形になったが(?)、こうして見るとそれが果たして不幸なことだったのか、一概に言えない気がしてきた。逆に恋は実ったものの、もしリストラの憂き目にあったらと思うと…人生でめぐり合った出来事で、その時の幸不幸が後々までも同じ幸不幸であることも、余程の事件・事故・病気でもない限り必ずしもイコールではない場合もある。