尊敬する人物と違い叙勲を受章しますか?

 政府が今日29日付で春の叙勲4021人を発表したが、今日の日経朝刊2面(総合・政治)、28・29面(叙勲・C)、34面(第1社会)といった各面に受章者名簿等の関連記事が出ていた。その中に、僕も先日書いた(3日)約40年前の日経のスクープ「第一・日本勧銀が対等合併」の際に経済部長として陣頭指揮に当たり、後に社長・会長も歴任された鶴田卓彦氏(82)もいらっしゃる旨社会面でも当然取り上げているのも読み、正直次のような理由で驚いている。
 17年前の93年の社長就任時に、確か朝日だったか就任インタビューがあるのを読んだが、その中で「尊敬する円城寺次郎元社長の『人生借りを作るなよ』という言葉を座右の銘にしている」とあったのと、正直矛盾している。言葉との矛盾ではなく、かつて円城寺さんは叙勲等そういった勲章の類を辞退し続けたという話を、『ドキュメント日経新聞産業部』(真鍋繁樹著・かんき出版刊・84年)で読んだ。社内にあってはANNECSプロジェクトを推進しつつ日経産業新聞を創刊し、社外にあっては政府内に山ほどある審議会(!?)のメンバーを歴任するという活躍をされながら勲章類を全て断った…曰く「私だからやれたということはなく、他の誰かが就いていたらその人がやっていただろう」と。そして当時の日経幹部は「それが本人の人柄でしょう」と言いつつ、そういったことをむしろ誇りに思っていたという。
 確かに円城寺さんにしろ、他にも勲章を辞退し続けた旧興銀の中山素平さんやヤマト運輸小倉昌男さんといった人は勲章の話があった時分に既にトップを退任されていたと思うが、(特別)顧問といった形で会社にはまだ籍があった。一方今回の鶴田さんは既に日経に籍はないので、その辺の事情の違いはあるかもしれない。また、尊敬する人物と同じ生き方をしなければならない謂れだって何処にもないだろうし、なかなか真似のできない生き方に共感もするからこそ、尊敬・私淑してやまないのかもしれない。
 「しかし何だかなあ〜…鶴田さんが経済部長の時の社長が円城寺さんだったのに」と思う。僕の数ある持論のひとつに「勲章等の沙汰が何度あっても断り続ける人が真の偉人」がある。逆に言えば「ホイホイと受ける人は所詮そこまでか」と…