今度は初恋の相手が夢に…!

 先日、20年ばかり前の職場恋愛(にもならなかったが…様々な策略・妨害があったから)の相手が夢に出て来たことを書いたが(3月20日)、今日、今度は28〜9年前、もう約30年前の初恋のクラスメートの女の子が夕べ夢に登場し「再会」を果たした(!?)。
 81年9月から82年7月までの中学2〜3年の頃、大阪府東大阪市立の中学に通っていたが、そこで転入後2ヶ月ほど経った頃か、ひとりのクラスメートの女子にほのかな想いを寄せるようになった。彼女は外見も内面もスマートな美人で、思うに芸能人で言うと当時の三田寛子似、テストの点もクラスで1〜2の優等生(学年ではついぞ分からなかったが、学年でも上位だったろう…)、もう昭和から平成にかけての時代を問わず漫画やドラマでありがちなお約束通りの、まさに高嶺の花のマドンナである(!)。
 といっても明けても暮れても一日中彼女のことで頭が一杯だったわけでもなく(!)、学校では多少授業に集中する一方(!?)「鉄男」でもある関係上、ウチに帰れば地元鉄道会社に就職したい目標に向かって様々な取り組みを推進していた。言わばもう思春期にもかかわらず「Railwey is lover」……果たしてそれが恋と言えるのか否かはここでは述べまい(!?)。
 そしてそんな中、クラス内で幾つかの班に分かれて、クラス担任から各班に「班ノート」という数十ページの大学ノートが支給されていた。これは各班メンバーが原則内容も量も自由に書き、担任に講評してもらって次のメンバーに回していくというもので、他のメンバーに読んでもらうのも承知が前提になっている。こういうコミュニティーアイテムは今で言うメール・ブログ・ツイッター、さしずめそれらのアナログ版だろう。
 僕はそのノートに、これも先日書いた、20年ほど前に勤めていた松下電器(現パナソニック)での朝の始業前スピーチ「所感」の順番が回ってきては毎回々々時間オーバー気味に喋りまくったことに似て(!?)、ただまだ中学生だったので毎回「鉄男記事」のみで少なくとも2〜3ページ、多い時でその倍は書きまくった。内容は今思うと丁度月刊誌『鉄道ジャーナル』の「列車追跡シリーズ」のようで、しかし写真やグラフは当然なく(!)ひたすら字がビッシリでの勝負だった。後年の、他ならぬ当ブログの嚆矢かもしれない(!?)。
 ある時、教室内の席替えにより運良くそのマドンナと同じ班になり(!!)「来るべき時が来た」と悟った僕は(!?)、それでも班ノートには普段通りに鉄チャン記事で相当のペ−ジを埋め尽くし別段特別なこともジタバタもしなかった(!!)。それが良かったのか、後日マドンナがこんなコメントを寄せた。
 「山川君ってほんとにすごい。私なんかひとりでツルハシやナンバまでで道に迷うのに、山川君は迷うことなくそのまた先へ先へと電車に乗り継いで行くなんて……」
 こんな人生の金字塔とも言えるマドンナコメント(!!)の文中のカタカナは大阪市内の鶴橋と難波を指すが、僕にとって好きで取り組んでいる将来の夢の実現への行動が、彼女にとって「凄いこと」とは、こればかりは「夢」にも思わなかった(!!)。ただ願わくば、仮にも優等生なんだから「鶴橋」「難波」と僕でもチャンと書いていた漢字にしてほしかったが(!)…
 つまり東大阪に住んでいた関係で沿線が近鉄線、だから都心へはまず鶴橋や上本町(現大阪上本町天王寺区上本町6丁目にあることから通称「ウエロク」)、難波等にたどり着くことになる。そこから国鉄(現JR西日本大阪環状線や地下鉄谷町線御堂筋線辺りに乗り換えて、また更に京阪や阪急にまで乗り換えて…と毎回目まぐるしく且つ長ったらしい紀行文(列車追跡)に仕上がった(!?)。それを彼女は感嘆したらしく、純粋に褒めてくれたと今も勝手に解釈している(!!)。まあ、こちらこそ「さすが優等生!全文読んでくれて、いや、新聞の斜め読み程度だったかもしれないが、それでもありがとう」と30年振りにお礼を言いたい気持ちだ(!!)。
 そこで次の機会には早くも彼氏気取りで(!?)「とにかく通路の脇や頭上に設置されている電光掲示等の道案内を確認すべし。僕だってそれを頼りにしている」という趣旨のアドバイスをした(!!)。
 ただ今になってみればあのマドンナコメントは遠回しの「デートの誘い」、つまりその心は「ねえ山川君、今度私も連れてって!」という意味の乙女心だったのではないかと、またまた勝手ながら思い当たる(!?)。もしその通りなら僕のアドバイスはアドバイスになっていないばかりか、それこそ「自分ひとりで歩いて行け!」と突き放した言い方になっていないとも限らず、後悔は倍加する(!?)。
 また、更に突っ込んだ解釈をすればそれは事実上の告白、つまり「私は山川君が好きになったの。他の子には誰にも絶対渡さない!もし“候補者”がいれば私を成績で負かすことね」という内に秘めた決意表明だ。もうここまでくると我田引水的解釈もいいとこで(!?)、大体そこまでモテた覚えもないのだが(!?)、何しろ「アナログ版持ち回り公開ブログ」でマドンナ自ら僕を名指しし「すごい」と言ってくれたんだから(!!)。なお彼女は優等生でありながら、決してそれを鼻にかけたりしなかった、まさに「大和撫子」。思うに彼女自身も将来の目標等があっての高成績であり、むしろ「優等生」呼ばわりは迷惑だったかもしれない。
 しかし結局中3のクラス替えで離れ離れになり、82年2学期限りで僕が東大阪市立中学も離れて大阪市立中学に転校して以来28年間音信不通である。こっちの熱意のなさもあるが(?)俗に言う「初恋は実らない」の典型であろう。
 そして夢のストーリーは、これも今の時間となってはそうビジュアルには思い出せないが、どうやら昨年初めて受け今度6月と10月にも受ける予定でいる、日経新聞と日経研究センター共催の「日経TEST」、そのとある会場で偶然再会したのみならず、席も隣同士という「シナリオ」だったようだ(!!)。再会した彼女はあの当時と変わらず美人でかわいかった(!!)。試験前少し思い出話に花を咲かせた後、開始15分前から一旦おしゃべりはやめて、僕は鞄からおもむろに毎日新聞を取り出し「最終調整」をした(!?)…彼女の熱い眼差しが横目にも感じられた(!!)。
 何を想ってるんだろう?
 「もぅ〜山川君ったら、もうちょっとオシャベリしたかったのにィ〜!…でも山川君って何かまた幅が出てきたみたい…」(ごめんネ!でもどんな風に?)
 「昔の鉄道オタクは変わらないけど、このブログで初めて知ってビックリ!新聞オタク・経済オタク・法律オタクもだったなんて…」(まあビックリは当然だね。音信不通だったこの30年間の蓄積はダテじゃないだろう?)
 「単数オタクはやっぱり引くけど複数オタクなんてステキ…!」(そう思ってくれれば光栄だ!)
 「このTESTではもう山川君には勝てないかも…だって彼のフィールドだもん…」(そんなことないんじゃない?)
 「でもここでなんで毎日新聞?…」(後述の通り僕もわかんない。まあオタクですから?)
 しかし「日経の世界」の場で、しかも今とっていないのに(7月からで調整中)なぜ堂々と毎日なのかは彼女はもちろん僕も不明だ(!?)。かつて毎日は「スクープの毎日」と言われていたが、何か1面トップに出てたのか(?)。また、2人の成績結果や、ましてや再会の約束とか(携帯)電話番号等の個人情報交換にまでは至らずに目が覚めてしまった(!?)。前にも言ったが、やはりつくづく「夢が録画できたら」と思う(!!)。
 ともあれ今頃どうしているんだろう?聡美ちゃん……