一時代を築いた鉄道ジャーナリスト逝く…

 元毎日新聞記者にしてレイルウエイ・ライターの先駆者として一時代を築いた種村直樹氏が、3日前の6日に肺がんで亡くなっていたことが、今日の朝刊社会面の訃報欄に出ていた。何年か前に体調不安から『鉄道ジャーナル』での記事を一切書かなくなり、事実上引退状態だったので、時折「種さん今頃どうしているだろう…」と思っていたが、つい先日78歳で亡くなったことのようだ。詳細までは出ていないので分からないが、公表が3日後になったのは、てっきり「故人の遺志で葬儀を近親者のみで済ませた後で公表」だろうと、「まあ種さんらしいと言えばらしいか…!?」と思っていた。しかし記事に「葬儀はこんどの12日に東京台東区で」とあったので、より一層我々他人には分からない事情があるようだ。

 種さんの著作を初めて買って読んだのは『鉄道旅行術』だった。中学時分の82年(昭和57年)頃だったか、お金がなくて新幹線や夜行とりわけブルートレインはもとより、昼行の(L)特急や急行にもなかなか乗れず、せいぜい料金不要の(新)快速のみで長距離旅行が叶わなかった、そんな“飢え”を『交通公社(当時)の時刻表』と一緒に毎日のようにしのいだ思い出がある。

 以降、85年に『鉄道ジャーナル』の購読を始め、数多くの列車追跡記事やコラム「レイルウエイレビュー」も読んできた。まさに30年余りの“付き合い”だった。

 国鉄がJRになり3年後には30年が経ち、今やJR北海道だけが事故問題で揺れる他はおしなべて好調だし、このほど国交省から正式に中央リニア着工認可も下り、21世紀前半の鉄道界もまた新時代に入っていく。そういったことを見届けての種さんの他界だったと思う。来月発売の『ジャーナル』2月号には訃報記事と、これまでの活躍ぶりをダイジェストでまとめた大特集が組まれることだろう。謹んでご冥福をお祈り致します…

 元毎日新聞記者にしてレイルウエイ・ライターの先駆者として一時代を築いた種村直樹氏が、3日前の6日に肺がんで亡くなっていたことが、今日の朝刊社会面の訃報欄に出ていた。何年か前に体調不安から『鉄道ジャーナル』での記事を一切書かなくなり、事実上引退状態だったので、時折「種さん今頃どうしているだろう…」と思っていたが、つい先日78歳で亡くなったことのようだ。詳細までは出ていないので分からないが、公表が3日後になったのは、てっきり「故人の遺志で葬儀を近親者のみで済ませた後で公表」だろうと、「まあ種さんらしいと言えばらしいか…!?」と思っていた。しかし記事に「葬儀はこんどの12日に東京台東区で」とあったので、より一層我々他人には分からない事情があるようだ。

 種さんの著作を初めて買って読んだのは『鉄道旅行術』だった。中学時分の82年(昭和57年)頃だったか、お金がなくて新幹線や夜行とりわけブルートレインはもとより、昼行の(L)特急や急行にもなかなか乗れず、せいぜい料金不要の(新)快速のみで長距離旅行が叶わなかった、そんな“飢え”を『交通公社(当時)の時刻表』と一緒に毎日のようにしのいだ思い出がある。

 以降、85年に『鉄道ジャーナル』の購読を始め、数多くの列車追跡記事やコラム「レイルウエイレビュー」も読んできた。まさに30年余りの“付き合い”だった。

 国鉄がJRになり3年後には30年が経ち、今やJR北海道だけが事故問題で揺れる他はおしなべて好調だし、このほど国交省から正式に中央リニア着工認可も下り、21世紀前半の鉄道界もまた新時代に入っていく。そういったことを見届けての種さんの他界だったと思う。来月発売の『ジャーナル』2月号には訃報記事と、これまでの活躍ぶりをダイジェストでまとめた大特集が組まれることだろう。謹んでご冥福をお祈り致します…