目下の改憲論議の負の側面をまとめた朝日社説。

 今日の朝日朝刊12面(オピニオン)の社説の1本目に、衆院憲法審査会が3月から始めた憲法全般についての自由討議を今週ひとまず終えたが、看過できない面があれこれあるという論説があった。
 まず第3章「国民の権利及び義務」において、現状、13条に「公共の福祉に反しない限り」云々とあるのを「公益及び公の秩序に反しない限り」に改め、自民党の見解が「基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限らないことの明確化」という。これは国権が「反・公の秩序」と見れば、問答無用で人権制限を敷ける余地すら生みかねないと論じている。それは21条の「集会、結社、言論、出版等の表現の自由」についても、当然のようにターゲットにされている。
 また、最近方々の高裁から「1票の格差違憲、選挙無効の判決」が相次いでいることに関して、自民の「立法が決めた選挙制度に、司法が違憲だの無効だのの判決を下すのは立法への侵害だ」との見解に対して、「立憲主義……権力の暴走を防ぐこれこそ近代憲法の本質。自民のそういった見解だと、権力側から国民に『上から目線』で見下したり、司法への牽制が見え隠れする」とも論じている。
 そして、「そんな『自分に甘く他人に厳しい』ではまるっきりアベコベだ。そこに自民の改憲論の本質が見える」と結んでいる。
 相変わらず朝日の論調の切れ味は天下一品である(!)。特にその立法対司法の自民の見解は、確かに三権分立の観点からすれば明らかにおかしい。「侵害」云々ではなく、それこそ「三権分立の真骨頂」というのが正解だ。立法府にだってごく稀にしか行われないが、裁判官を裁判する弾劾裁判の制度もあるから、おアイコではないか!?(笑)弾劾裁判制度も三権分立の真骨頂である。また、行政府にも73条7項で「大赦、特赦、減刑……を決定する」内閣の職務を定めているのも同様だろう。
 そもそも日本史をザッと振り返っても、1800年代半ば、つまり19世紀半ばの幕藩体制崩壊まで、どちらかと言えばトップダウンの「オイ、コラ、黙れ」式の政治が長らく続き、第2次大戦・太平洋戦争で米にガツンと鉄槌を下された挙げ句に、大日本帝国憲法を捨て事実上の「Made in USA」ながら日本国憲法を制定した……こう見ると、日本の民主主義も戦後たった60〜70年ぽっちで成熟しようがない、逆に近年の歴代政権においても、何だかんだ言って古来のトップダウン式政治のDNAが残っていたんだと思わざるを得ない。「今こそ本当に本物のMade in JAPAN、日本純正たる日本国憲法を」とか何のカンの言っても、もし今後改正に改正を重ねた挙げ句完成品をよく見ると大日本帝国憲法モドキになってた、では憤りを通り越してタダのお笑い草になってしまう懸念も確かにある。
 しかし14日にも言ったが、現憲法の公布・施行から早60年が過ぎ、つまり還暦を過ぎたものの時代の潮流に全く背を向けて、条文の一言一句をも金科玉条化して一切いじらないで未来永劫やっていく、というのも考えものである。朝日は憲法改正に反対のスタンスらしく、目下の改憲論議の負の側面は社説にまとめた通りだと思う。それは現憲法硬性憲法かつ民定憲法であるというスタンスだけは絶対維持しながら、衆院憲法審査会のような機関で徹底的洗い出しを行うのと並行して、われわれ国民的議論も活発化させて、その時代々々に即した「日本純正の日本国憲法」を生み育てていけば、一部野党のような子供じみてみっともない「何でも反対」だけは回避できると考えたい。もっともかく言う僕だって少なくとも、96条をいじくりまくって軟性憲法化させていくのだけは絶対反対だ。