「職務執行内閣」は「僕的に前代未聞」どころか過去15例も。

 昨日の国会での首班指名で、民主党野田佳彦代表が第95代・62人目の首相に指名されたが、即刻組閣に取りかかるでなく(?)9月2日またはそれ以降に延期となった。それに伴って昨日午前に総辞職した菅内閣が、野田内閣発足までのツナギで職務執行内閣としてひとまず存続となったが、今日の毎日朝刊5面(総合)にこんなちょっとしたアラカルト的記事が出ていた。
 「憲法71条に基づく職務執行内閣の措置は現憲法下で今回16例目。内閣総務官室によれば、うち10例が48年から60年(昭和23年から35年)の戦後の混乱期から高度経済成長期。あとは、80年(昭和55年)に大平正芳首相が現職のまま急死した際、大平内閣総辞職の6月12日から鈴木善幸内閣発足の7月17日まで1ヵ月超……93年の細川護熙内閣発足前の宮沢喜一内閣……次の94年の羽田孜内閣前の細川内閣……そしてつい昨年も菅直人内閣前の鳩山由紀夫内閣がそういう措置を取った」
 現憲法下で16例目ということは、旧憲法大日本帝国憲法下では……とまで話を広げるとキリがない(?)。ともあれまず48年から60年というと、「バカヤロー」の(?)吉田茂内閣や昭電疑獄が起きた芦田均内閣、短命に終わった石橋湛山内閣、そして日米安保締結の岸信介内閣辺りが入っているはずで、戦後のゴタゴタや本人の健康問題、前代未聞の外交問題等々があったせいであることは容易に推測できる。
 31年前の大平首相急死は僕が中1時代通っていたクラスでも話題になったくらいで、ウチでとっていた新聞(読売?)も事件以降もちろん連日1面トップないし準トップだったろう。当時衆参ダブルの選挙戦真っ只中だったことから、現職の首相かつ自民党総裁としての相当な重圧&過労が死因だとされた。しかしその時の職務内閣は首相不在の中、当時の官房長官か外相か誰かが首相臨時代理を務めていたと思う。
 そしてつい最近の昨年、鳩山内閣から菅内閣にスイッチする際もそうだったということで、昨日書いた「僕的に前代未聞」は単なる僕の失念に過ぎなかったわけだ(?)。