職場恋愛断念の後日談(6)…底抜けのバカヤローばかりだった同期・派遣連中という環境。

 僕がそもそも新聞折込チラシの求人広告という縁あって、松下電器(現パナソニック)の本社直轄事業場(事業部ではない)ディスクシステム部(後の光ディスク事業部、カンパニー制上のAVC社)に中途入社したのは、今から丁度20年前ともう言っていい90年7月11日だった。今回奇しくも「20周年記念日」と参院選がバッティングして何になるのかは不明、少なくとも僕の周辺では別に何も起こるまい(!?)。
 因みに何の新聞だったか、何故か日記にないので(!?)最早思い出すこともできないが、当時朝日・毎日・日経本紙・日経産業・日刊工業をとっていたという記録があり(!)、大方朝日だろう。それと並行して愛読書『メディアの興亡』(杉山隆男著・文藝春秋)も読破済み、あまりに感動し、感銘も受けたので早速「読書百遍読み返しまくり」に入っていて(!!)、後述の連中とはもう既にふた味以上違う体制を整えていた(!)。ただ惜しむらくは、そういった経緯に関して彼女には確か全く話していなかった気がしていて、それこそ年末のパーティーで早速それから話せばよかったと今更ながら後悔している。
 しかし「ああ、先輩ゴメンネ!当時から産経あまりとってなくて…」といった侘びまでは別に要るまい(!?)。とにかく曲がりなりにも朝日のお陰で(毎日かもしれないが…!?)出会いがあったことだけは申し添えておきます!
 いつだったかこれも記録がなく忘れたものの、一応入社試験があったのだが、今から思っても何だか申し訳程度でしかなかった気がする。メニューは確か一般教養と適性、面接だけで、僕にしてみれば有難かった反面もう少しだけ苦しむ(?)局面があっても良かった(!?)。面接にしても、僕らしいアピールができたのは職歴のところで、90年初めに研修のみで辞めたものの日経グループの新聞・雑誌の販促会社にいたことを質問されたくらいだった。それでも余程目を引いたのだろう、結局合格できたのは「山川…コイツ欲しいな」と(!?)そのことも決め手になったはずだと、今もつくづく述懐してやまない。もし本当にそうなら、その点は「さすが松下」と褒めてやっていいし(!?)、ひいては彼女との出会いの立役者は朝日(又は毎日?)のみならずやはり日経も…ということになる(!!)。
 しかし……当日同時入社だった他の2人を筆頭に、まさに陸続と続く大方の中途組のバカさ加減ときたら目を覆い耳を塞がんとしたくもなり、全く呆れ果てて職場ではまさに「所感」以外のモノも言えなくなった。口が軽過ぎる奴……その年の社員旅行での宴会で迂闊に「松下電器はアホでも入れる」と放言、暫く顰蹙を買ってなお平気な奴……天邪鬼な奴……未だ会社を中学校とでも思っている奴……己の「所感」のスピーチ中に突然「♪あ〜な〜たの街ので〜ん〜き屋さん…♪」とナショナルショップのCMソングを歌い出す奴……業務連絡でも冗談を飛ばす奴……話題が競馬しかない奴……やたら世辞と言い訳が上手い世渡り上手ながら「所感」が全くなってない奴……難しく言えば長幼の序もわきまえない、簡単に言えば先輩・年長者にもしょっちゅうタメをきく奴……エトセトラ……まあ、その点は派遣の非正規連中も「所感」がもともとない他は似たり寄ったりで、そんな「劣悪環境下」に於いてこの僕が美人の先輩を口説こうにもまさに至難の業、ブッチャケ今から思えば既にその時点で勝負あったのかもしれない。
 読書習慣全くゼロなのはもちろん、親元で暮らしているスネかじりのくせにウチでとってるであろう新聞に目を通しもしない…そんなことくらい普段の言動や、ましてや社員なら「所感」を聞いていればすぐにわかる。僕なんかに人を見抜く洞察力があるやないやなどという、遥か以前の問題だ。しかしとりわけ松下には実に奇妙な平等主義があるので、この僕までもが十把ひとからげに判断され、そうなってはいくら何でももうお手上げ、つまりは彼女にこう見くびられていた面もなかったかということだ。
 「山川さんとて所詮彼らとおんなじでしょ!?」
 それが91年7月25日の「伏線」でもあった感じがするのだ。だからその後、既述の反省も踏まえ、別のアピール方法も模索しつつ次なるチャンスをうかがっていた。
 しかしそんな中起きてしまったのが、以前述べた秋の飲み会での一件だ。例の「口軽過ぎヤロー」のお出まし…もう1度だけ、今後の戒めを込めて再掲する……!
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 しかし、いよいよ事実上この恋を諦めざるを得ないことが起きた。その後秋頃か、彼女のいないグループの飲み会で食と酒が適度に入って興が乗ってきたその時だった。普段から口の軽い同期のひとりのバカヤローがこう切り出したのだ。
 「山川、好きなヒトがおるんやろ!?」
 来たか…!確かにそういう場でそういう話以上の酒の肴はないが、ワガママながら僕としてはそっとしておいてほしかったのだ。しかしそいつは今で言うKYなのか、更にたたみかけてきた。
 「何やったら(彼女に)伝えたってもええで!?」
 彼女へのアプローチに失敗して数ヶ月、その間次なる作戦に悩んでいたが、その瞬間吹っ切れた!よし、もうこの話はなかったことにしよう…そこでそのバカに言い返した!
 「さっきから名を伏せてるが、一体誰やねん!?」
 「言うてもええの!? ホンマにええの!?」
 「ああ!」 
 「◯◯さん!」
 「……◯◯さん……か……」
 「何ならゆっといたるで!?」
 全くそのバカの言い草には、仮に僕らが結婚にまで至っても「決して喜んでやらへんし、祝ってもやらへんで!」という気持ちがアリアリで、本当に悲しかった。まさに3月20日にも述べた「大阪人特有の妬みツラみ」爆発で、数いる同期の中で僕が先陣切って結婚に至るのが、相手が美人なこともあって面白くなかったのだろう。また、そこで僕に貸しを作っておくことで、後々色んな場面で僕をコントロールしようと考えたかもしれない。まさに物の考え方が大阪人特有の馬鹿そのもので、余りにも呆れ果てまくって後年会社はもちろん故郷をも飛び出す遠因になったのかもしれない。
 ただ唯一そいつを、まあ仮にも丁度20年前の90年7月11日同日中途入社だったよしみで弁護してやれるとすれば、その後僕らに何の進展もなかったので、さすがに奴も「まずい!」と気付き悪かったと反省し危機感まで抱いたのか、「ふざけとったら◯◯さんに笑われてもうてん」「山川、彼女作らへんの!?」と色々水を向けて心配してくれたことだ。しかし僕としては91年秋の怒りは収まらず「(笑われることをわざわざすな…!!)ああ、彼女笑い上戸やからな」「(彼女作りだと!?)どうやって!?」と言い返すしかなかった。
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 そいつは中々の弁達者で人気者なのだが、言っていい事と悪い事の区別やTPOの判断等の能力までは全くないのか、宴席等レクの場ではもちろん職場でも何を言っても許されるとのぼせ上がる事も一再ではなかった。これは明らかに「ウケる」と「許される」を混同、履き違えていたわけだ。自分の人事異動も、正式発令・公表前にまあそれはそれは吹聴してまわってやまなかったものである。業を煮やした僕はそこである時、奴に注意したことがある。
 「おまえな〜、今後のために言うといたるけど、そういうことを事前にベラベラしゃべんな(喋るな)!」
 対してさすがに奴も既に反省していたのか「ああ、さっき(某上役に)おんなじこと言われた」…そんなことくらい一般常識である。
 この無常識ヤローとのやり取りで吹っ切れた僕は、事実上その時点で彼女を諦めた。もうこれ以上アプローチしても7月25日同様振られるか、いや、これ以上のアプローチは最悪セクハラか後年生まれる言葉・ストーカーもどきの疑念が生じかねない。また逆にアプローチが仮に成功しリベンジできたとしても、先輩・同輩・後輩問わずとりわけ嫉妬深いバカヤロー共の恨みツラミには対応しきれまい…そんな風に思った。
 今もそうだろうが、そんな松下の社風、また、そんな大阪の土地柄、大阪人の気質には、そこを故郷に持つ人間なのにつくづく嫌気が差す。それが大阪の人口万年2位、だったところへ近年神奈川にまで差し切られ3位にまで落ちた一因だということが、橋やん…橋下徹知事をはじめとする大阪の連中には、まだわからないか?(とはいえ橋やんはもともと東京出身らしいが…?)もっとも神奈川は僕の好きな声優さん・白鳥由里ちゃんの出身地でもあるから(!)、それも必然、めでたいといえばめでたいのか(!?)。