先の大戦反対に言論で挑んでいった人々。

 今日の日経朝刊34面(第1社会)で連載記事「戦争と言論人―足跡を訪ねて」が始まり、第1回目として石橋湛山が取り上げられていた。昨今、週刊経済誌東洋経済』を度々買っては当ブログで書いてきたが、僕の中では「東洋経済といえば石橋湛山石橋湛山といえば東洋経済」というように、どちらが先に思い浮かぶかという双方の存在感がある。
 「弾圧よりも大いに共産主義を語らせる言論の自由を認めるべきだ。共産思想に誤った部分があるにしても、それがあってはじめて人々はそれに気がつくのであって、弾圧によっては何も改善されない。また言論の自由とは、鬱積すべき社会の不満を排せつせしめ、その爆発を防ぐ唯一の安全弁であり、それによって人々の批判能力を養い、見解を偏らしめず、均衡を得た世論をつくる」
 「いかなる民族といえども、他民族の属国たるを愉快とするごとき事実は古来ほとんどない」
 「伝統も主義も捨て、軍部に迎合し、ただ東洋経済新報の形だけ残しても無意味だ。そんな醜態を演じるなら、いっそ自滅して滅びた方がいい」
 「更正日本の門出 前途は洋々たり」
 今日出ていた「湛山語録」を自分なりに抜粋するとこうなるが、とりわけ大正末期から昭和初期にかけて、時には朝鮮・台湾・満州等の植民地の放棄を主張し、また時には軍部を「ばい菌」呼ばわりして東洋経済共々睨まれ、しかしそれでも社内の「軍への協力」の声を押し切ったという湛山の反骨精神……今風に言うといい意味でのKY(?)、空気を読むほうが大間違いだという論陣を貫いたのは、ただただ天晴れという他の適切な言葉が見当たらない。
 「そういえばかつて当の日経にもそういう人…丁度湛山と同世代の小汀利得という人がいたが…?」
 しかしさすがに手前味噌のそしりを蒙って取り上げづらかろう。いや、取り上げてくれるかもしれないか…?